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復帰50の物語です。健康増進や体力向上など今や多くの県民に親しまれている「水泳」その歴史を紐解くと南国・沖縄ならではの変遷がありました。

那覇市首里の住宅街にひっそりとたたずむ石碑。かつてこの場所に大勢で賑わった市民プールがあったことを今に伝えるものです。その名は「首里プール」

写真提供 県水泳連盟 / 映像提供 沖縄アーカイブ研究所撮影 岡本晃

復帰50の物語 第36話「沖縄と水泳」

1952年6月、泳ぐ場所といえばプールではなく海が当たり前だった沖縄で地域の人々が建設委員会を立ち上げて造った県内初の淡水プール。戦後復興の象徴として多くの人に親しまれましたが、龍潭からひいた水は消毒しても濁ったままでした。

沖縄スイミングスクール大湾朝史会長「ろ過機がない」「だから水を入れてしばらくすると藻が発生する」「汚い水の中で泳いでいるのが僕らとしては当たり前でしたからね」

アメリカ統治下の乏しい環境にもめげず、本土の恵まれた施設をうらやみながら掴んだ中学日本一の栄光。

沖縄スイミングスクール大湾朝史会長「夢はオリンピック選手でしたよね」

あの頃、沖縄水泳界から本土復帰を願った若きスイマーの思いとは?

アメリカ統治下にあった頃、わずか数十人しかいなかった沖縄の水泳選手は約1000人に増え大きな夢を抱きながら日々の練習に励んでいます。

選手「オリンピックの100メートル背泳ぎで優勝したいです」

選手「池江璃花子選手みたいな速い選手になって大きい大会で優勝したいです」

復帰50の物語 第36話「沖縄と水泳」

県水泳連盟川満正芳会長「ここ10年全国大会でのジュニアの大会とか全国中学とか国体も入賞もあるし(水泳選手のレベルは)確実に上がっていると思います」

映像提供 沖縄アーカイブ研究所撮影 遠藤保雄

四方を海に囲まれ、多くの海水浴場を持つ沖縄。プールが必要とされていなかった時代には、親に隠れて海に入った子どもが溺れ命を落とす痛ましい水難事故が後を絶ちませんでした。

南国ならではの事情を抱えながら沖縄水泳の普及や発展を目指し、71年前(1951年)に県水泳連盟が設立されると糸満や首里など県内4カ所に次々と25メートルプールが造られたのです。

40年に渡って水泳選手の育成に取り組んできた大湾朝史(おおわん・あさふみ)さん。当時、まだ珍しかったプールは幼い頃の憧れでもありました。

沖縄スイミングスクール大湾朝史会長「プールで泳げるというのはステータスな部分が見え隠れして」「(プールは)子どもの夢みたいな場所だったのでそこからスタートしていった」「首里プールで大会するでしょ」「そうしたらプールの底が見えないものだから濁っていてターンしたら隣のコースに行っていたというね」

復帰50の物語 第36話「沖縄と水泳」

プールに使われた龍潭の水はろ過や消毒など手を尽くしても透き通ることはありませんでしたが、当時の選手たちは「スポーツへの意欲」にあふれていました。

競技を通じて本土と接することができ、沖縄スポーツ界から「本土復帰」を願う強い思いがあったからです。

大湾さんの写真。全国中学校選抜水泳大会(200Mバタフライ)大湾さんは復帰前の1965年、中学3年生の時に出場した全国大会で優勝。日本一の栄光を手にしました。

沖縄スイミングスクール大湾朝史さん「子どもたちに夢を与えたような状況だったなかなか沖縄という恵まれない地域の中で優勝するというのは非常に厳しかったので」

復帰50の物語 第36話「沖縄と水泳」

競泳の文化がない中で力をつけ、結果を出した沖縄水泳。沖縄からでも日の丸を背負って世界で戦えることを感じさせました。しかし、それは長くは続きませんでした。

沖縄スイミングスクール大湾朝史さん「復帰前後くらいから本土の方で屋内温水プールがどんどん出来始めて逆に沖縄は取り残されてしまった逆にせっかく詰まってきた差がまた離れていったと」

本土復帰した沖縄でも小学校を中心にプールが増え始めましたが、水泳を教える大人も泳げないことが多く子どもたちの力が伸びることはありませんでした。

沖縄スイミングスクール大湾朝史さん「後輩に自分の夢を託して温水プールでオリンピック選手を育成していこうと」「一番泳げない沖縄県という汚名を返上したいという2つの大きな目標があって」「スタートしたのがスイミングスクールの始まり」

沖縄スイミングスクール1982年に開校。40年前に立ち上げたスイミングスクールが目指したのは、大湾さんが競泳生活で得た「記録だけにとらわれない泳ぎの基本」を伝えること。

多くの選手を輩出し沖縄水泳界に貢献してきましたが、本土復帰50年を迎えた今沖縄のプールを巡る環境も変わろうとしています。

復帰50の物語 第36話「沖縄と水泳」

沖縄スイミングスクール大湾朝仁社長「沖縄県内外で少しずつ学校でプール設備を持つことに変化が見えてきて委託という形で進んできている流れがある」「(水泳の)専門的な知識を持っている教員が限られてくるので水泳授業に関してはプロのコーチに任せてもらうのが子どもにとってのメリットになってくるんじゃないかなと感じている」

時代とともに様々な歴史を辿る沖縄と水泳。命を守り身体を鍛えるための文化として沖縄に根付き、50年前に描いた夢は今の子どもたちに託されています。

沖縄スイミングスクール大湾朝史さん「いまだに沖縄から水泳でのオリンピック選手は出ていないので1日も早くそのレベルの指導者・選手育成をしてもらいたいという大きな夢はある」「本土に負けないだけの指導力はどんどんレベルアップしていってほしいなと思っている」

復帰50の物語 第36話「沖縄と水泳」