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旧越来村と美里村からなる現在の沖縄市は、終戦直後から基地建設が推し進められたことでアメリカ文化を色濃く残す唯一無二の「チャンプルー文化」が生まれました。基地から派生する異文化の影響を受けながら、戦後の復興を遂げていったコザの街は“戦後沖縄の縮図”とも言われています。そんな独自の大衆文化を発展させてきた沖縄市の歴史を貴重な資料の数々から読み解きます。

沖縄市 市史編集担当 廣山洋一さん「よくチャンプルー文化とかコザ文化という風にいわれるんですけれど、そういった文化(の影響を)受けた個性的な街・歴史を生かそうと、ヒストリートができました」

嘉手納基地に続くゲート通り沿いにある、沖縄市戦後文化資料展示館「ヒストリート」は、17年前にパルミラ通りにオープンしたあと、移転や合併を経て今の場所にたどり着きました。当時の生活雑貨などから、基地の門前町として栄えたコザの歩みが一目で分かるようになっています。

復帰50の物語 第7話 文化の交差点「コザ」

ヒストリートの1階では戦後、基地の建設でアメリカ化が進み、チャンプルー文化ができていった経緯が分かる年表やにぎわいを見せていたコザの街にあった当時の看板も目を引きます。暗い夜に煌々(こうこう)と輝くネオン、バーで酒をたしなむアメリカ人、華やかさを感じさせる街並みとは裏腹に市民の生活は復興に向けて歩き出したばかりでした。

ジュラルミンで作られた鍋・やかん、終戦直後に使われていた鍋や、やかんです。沖縄戦で家を失った市民は、軍用機の残骸を再利用して作った金属製品を使っていました。また、展示の中でも、ひときわこだわっているのが。

沖縄市 市史編集担当 廣山洋一さん「当時のAサインバーを復元したコーナーですね。Aサインとはこれのことです」

当時の雰囲気をリアルに再現した「Aサインバー」。壁にずらっと並ぶサイン入りのドル札紙幣は、軍人が気に入った店に張り付けていったものです。Aサインは、復帰前にアメリカ軍が飲食店やホテルに対して、軍人や軍属の人が出入りしてもよいと認めた店にアメリカ軍から与えられた許可証です。「許可済み」を意味する英語「approved」の頭文字にちなんでAサインと呼ばれ、四隅には、アメリカの陸・空・海軍、そして海兵隊のマークが入っています。

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また、並んでいる酒瓶は、当時のもので、例えば、この「白鷺」のラベルにもAサインが描かれていたそうです。アメリカ軍から認められた酒だったことがうかがえます。

沖縄市 市史編集担当 廣山洋一さん「特にこのAサイン産業はベトナム戦争の頃がとてももうかったと言われておりまして、その時のことはベトナム景気というんですけれども。当時一晩に2000ドル稼いだという話がありますし、当時2000ドルというのは家が一軒建つほどのお金だったそうです」

Aサインを取得するには、店の前の道の舗装に始まり、男女別の水洗のトイレを整備したり、コップは熱湯消毒をしたものを使用したりするなど、衛生や・施設面で厳しい基準をクリアしなければなりませんでした。軍関係者を相手に商売できるかどうかが、コザで生計を立てる人たちにとって死活問題だったこともあり、多くの経営者は厳しい基準があってもAサインを取得していたといいます。

沖縄市 市史編集担当 廣山洋一さん「しかし、そのAサイン制度も復帰前にですね、廃止されてしまうわけです。復帰後も米軍が民間のお店に立ち入って、検査をすることは日本の主権を侵害するということで廃止されてしまうんです」

来館者「友達を連れてね、僕は2回目なんだけれども、絶対ここは外せないスポットだと思って連れてきました」

復帰50の物語 第7話 文化の交差点「コザ」

復帰にまつわる資料も残されています。復帰の記念に作られたメダルです。沖縄市出身で、今回ヒストリートを案内してくれた廣山洋一さんも今から50年前、学校でもらったといいます。

沖縄市 市史編集担当 廣山洋一さん「復帰の時は多分小学校低学年だったんですけれども、たしか学校からの記念品みたいなものが、メダルとかもらいました」

また、ヒストリートの2階では年3回ほど、企画展を開催していて、現在は、当時の知花弾薬庫で極秘裏に化学兵器の毒ガスが貯蔵されていたことが明るみになり、沖縄の人たちが撤去を求めて立ち上がった、1971年の毒ガス移送に関する展示をしています。当時の新聞や写真、日米両政府の関係者の証言などさまざまな資料を通じて、どのような経緯で沖縄に毒ガスが持ち込まれたかなど、いちから学ぶことができます。ことしは復帰関連の企画展の開催も予定されています。

復帰50の物語 第7話 文化の交差点「コザ」

沖縄市 市史編集担当 廣山洋一さん「沖縄市のことを見ていただきたいので、市民、県内外の方々に、基地に面する沖縄市はいろんな外国人が来ますから、大勢の方々に見ていただきたいと思います」

戦後沖縄の息吹を現代に伝えるという重要な役割を果たし続けているヒストリートが本土復帰50年の節目を迎えた今、その存在を一層大きくしています。