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復帰50の物語・第6話のきょうはアメリカ統治下の沖縄で最高責任者だった「高等弁務官」にスポットを当てます。戦後12年たった1957年から本土に復帰する1972年まで15年の間に6人の軍人が高等弁務官を務めました。司法・立法・行政とあらゆる面で与えられた強大な特権を駆使して何度も沖縄の社会に大きな影響を与えた存在です。2人の有識者の話を交えながら当時の状況を振り返ります。

名桜大学 非常勤講師 古波藏契(こはぐら・けい)「一言でいうと沖縄の帝王っていう言葉もあって」

琉球大学名誉教授 比屋根照夫(ひやね・てるお)「司法・立法・行政の3権を掌握する、あるいは統括する、そういう存在だったんですよ、弁務官というのは」

復帰前の沖縄には、行政や法律を思いのままに動かせる絶対的な存在がいました。「高等弁務官」です。あまりにも大きな権力を持っていたことから「沖縄の帝王」とも呼ばれました。高等弁務官のポストは本土復帰を果たすまで6代に渡って続くことになります。

「銃剣とブルドーザー」と言われるように住民の家や畑などが強制接収されていた終戦直後の沖縄で、アメリカは軍事基地化を進めていくため1957年から「高等弁務官」を置くことにしました。

復帰50の物語 第6話 沖縄を支配した帝王

今の県知事にあたる行政主席の任命権や法令の制定や改正・廃止について拒否権を持っているだけでなく、琉球政府の職員を罷免できたり、自らの判断で予算案を可決できたりしました。アメリカが統治していた時代の沖縄を研究する古波藏契(こはぐら・けい)さんは、今では考えられないほど絶大な権限が高等弁務官には与えられていたと話します。

名桜大学 非常勤講師 古波藏契「(高等弁務官は)裁量権が非常に大きく設定されているものですから、沖縄の当時の高等弁務官が誰になるかで、(沖縄の状況は)かなり変わると、そういう存在だったんですね」

大統領から任命された軍人が就任することになっていて、本土復帰を果たした1972年に制度が廃止されまで15年の間に6人が「沖縄の帝王」の座に就きました。

復帰前の沖縄で新聞記者として各地を取材した経験を持つ琉球大学の比屋根照夫(ひやね・てるお)名誉教授は、住民側の統治機構である「琉球政府」は高等弁務官がトップに立つ米国民政府が認める範囲内でしか自治ができかったと当時を振り返ります。

琉球大学名誉教授 比屋根照夫「直接統治といってましたよね、弁務官によるね、ですから軍事支配の典型的な事例でしょ」「(沖縄の)一般の民衆の生活に対する施策よりも、軍事優先ということです」

初代「ジェームズ・E・ムーア」

沖縄の住民よりもアメリカ側の都合を優先していたことが明るみに出た事例があります。初代のムーア高等弁務官が就任していた1957年に起きた「瀬長亀次郎の追放」です。那覇市長に就任した瀬長亀次郎は反米的な立場を取っていたためアメリカにとって煙たい存在でした。市長の座から排除したいと考えたムーア高等弁務官は法律を変更する「布令改正」という強硬手段に出ます。

復帰50の物語 第6話 沖縄を支配した帝王

「市町村自治法」と「市町村選挙法」が変えられたことで反市長派の議員が出した不信任決議を瀬長派の議員が反発しても可決できるようにしただけでなく、被選挙権をはく奪して選挙に出られなくしました。

名桜大学 非常勤講師 古波藏契「(ムーア高等弁務官は)突然法律を変えて、(不信任決議をするために)議会で必要な人数を、3分の2だったものを過半数にしてしまうということで事実上瀬長の追放に手を貸すというようなことをやってしまった、これは言わば、衣の下の鎧が見えた瞬間だという風に言えると思いますけど」

三代目「ポール・W・キャラウェイ」

6人の中でもゆるぎない認知度を誇るのが、、3代目のキャラウェイ高等弁務官です。

翁長×菅対談 翁長知事(当時)「官房長官が粛々という言葉をしょっちゅう全国放送で出てまいりました。なんとなくキャラウェイ高等弁務官の姿が思い出されてきましたね」

7年前に当時の翁長知事と菅官房長官が対談した時に辺野古の新基地建設を強行する国の姿勢を批判するためにキャラウェイ高等弁務官と重ねました。

復帰50の物語 第6話 沖縄を支配した帝王

琉球大学名誉教授 比屋根照夫「(キャラウェイの印象は)硬軟あってね、硬の方はまさに自治神話論というやつです。もうひとつの方は、沖縄の中にあるよどみ切った経済の構造に対するメスを入れる、そういう2つの側面があったとおもいますね」

「自治は神話である」

キャラウェイ高等弁務官は「自治は神話である」と語って、支配者的な側面を見せたことで沖縄の人たちから多くの反発を買いました。

琉球大学名誉教授 比屋根照夫「(自治神話論が言われたときは)新聞社にいたんですけど、その時の編集局の中の緊迫した記者たちの表情とか動きとか、というのは今も生々しく思い出される」「(自治神話論を)容認できないと、そういう世論が形成されていったんですよ」

批判を集めた一方で経済界を浄化したと評価された一面もあわせもちます。経済界とのしがらみにとらわれることなく汚職や不祥事にまみれていた沖縄の金融界にメスを入れました。当時、乱立していた金融機関を合併させたり、経営陣を入れ替えたりした動きは「キャラウェイ旋風」とまで呼ばれるようになっていました。

比屋根さんと古波藏さんの2人は、アメリカ統治の過去を踏まえて今を見ることが大切だと話します。

名桜大学 非常勤講師 古波藏契「余りにもひどい、これは自分たちの自治を侵害していると思ったとき住民がいったいとなってたちあがることができた、あの時代って何だったんだろうという問いが必要なんじゃないかとおもいます」

琉球大学名誉教授 比屋根照夫「辺野古(新基地建設)の問題にしろ、沖縄振興の予算にしろ、沖縄のいっていることは何一つ聞かれないでしょう」「だから沖縄が自治権取り戻したかって言ったら、まだまだだというとこですよね」

復帰50の物語 第6話 沖縄を支配した帝王

一度「帝王の支配」を経験した沖縄だからこそ、地方自治の侵害が繰り返されないために何ができるのか、考え続ける必要があります。復帰して50年になる今もなお、過重な基地負担を強いられていて、平和な島を願う沖縄の思いが国に届かない現状があります。