シリーズでお送りしている復帰50の物語、きょうは、食卓にのぼるお米の移り変わりを通して、沖縄の本土復帰を見つめます。立ち上る湯気が、食欲をそそるお米。今、県内では様々な産地のおいしさを楽しむことができますが、ひと昔前は違いました。

県民は…

伊江島出身の男性(64)「昔はあまりおいしくはなかったね。東京行って初めてご飯食べたら、全然おいしさが違って、向こうの米はすごくおいしく感じた」

宮古島出身の女性(68)「(復帰前の米は)あまり味気なかった。芋のほうがいいです、今でも昔でも」

名護市出身の女性(80)「(復帰前のお米は)ホロホロしてね。この時は食べるのがないからおいしかったよ。それでもあたるかあたらないか」

お米の卸売りなどを手掛ける沖縄食糧。戦後のウチナ-ンチュの胃袋を支えてきました。創業は、72年前の1950年(昭和25)。米軍政府がおこなってきた“食糧配給”の仕事が民営化され、沖縄食糧が誕生しました。その歩みは、沖縄がたどってきた食の資源の歴史そのものともいえます。会社の敷地内に、米軍統治の時代を今に伝えるモニュメントが残されていました。

記者「これが記念碑ですか?なんて書いてあるんですか?」

復帰50の物語 第4話 復帰に揺れたお米

沖縄食糧 営業本部 田幸正邦 部長「この構内にある沖縄食糧の諸設備は、アメリカ琉球民政府援助により建設されたもので、米国の琉球に対する好意の何よりの象徴である」

68年前に建てられた3棟の穀物倉庫は、沖縄の住民全ての食糧を確保するため、米軍の援助を受けて建てられたものです。県民の3か月分にあたる約2万5千トンの米を保管することができます。

沖縄食糧 営業本部 田幸正邦 部長の話「当時のアジア、東洋で言っても、設備・規模含めて、東洋一の食糧倉庫だというふうに言われていたらしい」

復帰前、沖縄で食べることができたのは、海外からの輸入米でした。米の輸出を禁止する日本の「食管法」という法律が立ちはだかっていたのです。

輸入米に頼るしかない沖縄は、世界的な食糧事情の影響を、もろに受けることになります。

沖縄食糧 中村徹社長の話「戦後ゴタゴタしていて、食糧難、なおかつ不作ということで、どこも米を出してくれなかった時代があったらしくて、それを確保しないといけないよねということで、行って、いろいろ交渉したんだが、ほとんどだめだった」と話します。

世界的な不作の中で、住民の食糧をどう確保するのか。追い詰められた琉球政府は、東南アジアへ渡り交渉に挑みますが、圧倒的な売り手市場で、沖縄は全く相手にされませんでした。沖縄食糧・創業者の竹内和三郎は、ビルマの政府首脳に、体当たりで懇願したといいます。

沖縄食糧 中村徹社長の話「(ビルマの政府首脳が)どこかの教会で礼拝するんだという情報をいれたもんだから、彼はそこに待機して直談判したらしいんですよね。で、沖縄の諸事情をお話して、こんな小さな島で、本当に飢えているんだと、どうにかできないかと」

復帰50の物語 第4話 復帰に揺れたお米

沖縄食糧・創業者 竹内和三郎 手記より “琉球は今次大戦の最大の被害者である。社会主義国である貴国が第一に手を差し伸べるべきは琉球百万の住民ではないか”命がけの熱意は、相手の胸に伝わり、ビルマ米3万トンの獲得に成功したのです。

これは、1960年代の県内のお米の広告です。「日の出米」とは、カリフォルニア米のことで、豪華景品付と書かれています。この頃、琉球政府が進めたコメの自由化策によってお米の輸入量は急速に増加しました。需要をはるかに上回り、県内の米業者の競争に拍車がかかりました。

沖縄食糧 中村徹社長の話「お米を売るためのキャンペーンで、車1台のキャンペーンをやったと。そこまで白熱していたらしいんですよ、もう自由販売ですから」

1969年(昭和44)に沖縄の本土復帰が決まると、その年の12月、戦後はじめて日本の米が沖縄に輸入されました。そして、本土復帰とともに、日本政府が管理する米が県内で販売されることになりますが、本土と同等のお米は、県民のもとには届かなかったのです。米は品質ごとに5つの段階に分けられていました。1・2類がいわゆる銘柄米、3類が標準価格米と決められていました。沖縄に分配された米は、3類以下の米でした。

沖縄食糧 中村徹社長の話「政府管理米の中に、4類5類のデイゴ米を作って出していたんです。それで沖縄のコメはおいしくないって、だったのかなって」

復帰して10年ほど経った頃から、1・2類の米が県内で流通するようになりました。当時のパッケージを見てみると壮大な宇宙をイメージしたものなど、ゴージャス感あふれるものばかり。

復帰50の物語 第4話 復帰に揺れたお米

そして、沖縄独自のお米文化も花開きます。今でこそ全国各地で贈り物に「お米」を選ぶ習慣が出てきましたが、お中元やお歳暮の贈答品としておなじみのギフトボックスは、沖縄が発祥なんです。そこには、保存ができて、もらって困る人はいないという相手を思いやるまごころも詰まっています。

復帰50年のいま、県内では、様々な産地のお米が手に入るようになりました。ずらり並んだ光景に、戦後の食糧難や、世替わりのなかで、お米の確保に奔走してきた人々の熱い姿が重なります。