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復帰40年を迎えた沖縄ですが、基地問題もオスプレイ配備により一層不透明、地位協定についてもいまだに沖縄は翻弄され続けています。きょうはその始まりともいえるベンジャミン事件についてお伝えします。

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1972年9月20日、金武町キャンプハンセン内。基地内で働くの日本人男性が射殺。

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キャンプハンセン内で働いていた栄野川盛勇さん(当時36歳)をわずか3メートルの至近距離からライフル銃で殺害したのは、当時ベトナム戦争から帰還したばかりのベンジャミン元上等兵(当時25歳)でした。

理由もなく基地内で日本人が殺されるという冷酷無残な事件。しかし、当時アメリカ軍側は事件発生から半日経っても日本政府に対して事件の事実を伝えておらず、それどころか、事件発生から12日もの間、犯人の身柄が那覇地検に引き渡されることはありませんでした。

これが、復帰後初めて地位協定が適用される事件となりました。

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当時、毎日新聞那覇支局のカメラマンとしてその現場にいた池宮城晃さん。この事件は復帰後もっとも印象が強かったと話します。

池宮城晃さん「犯人は基地の中で確保されているわけです。しかし、それが沖縄県の捜査当局に身柄が引き渡しになるか、ならないかというので、地位協定の話がすぐに出てきたんですよね。それまでは沖縄は地位協定なんていうのは適用されていないわけですから、記者もみんな『地位協定ってなんだ』と一斉に調べ始めました」

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人命軽視の事件に対する怒り、そして犯人の即時引き渡しを求めて抗議の声が上がりました。この事件で盾となった地位協定。

つまり、この協定によりベンジャミン元上等兵の身柄を県警が拘束できず、任意でしか取り調べができなかった結果、起訴状には動機が記されることはありませんでした。

そして、犯行動機不明のまま迎えた裁判。

玉城宏彦さん「法廷は満杯。本土からも20人くらい記者が来ていると。沖縄は大騒ぎですね。初めての裁判で米軍がどういう風に対応するかと」

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ベンジャミン事件の法廷通訳を担当した玉城宏彦さん。沖縄大学で刑事法の講師もしていた玉城さんは、この裁判にある違和感を感じたといいます。

玉城さん「 やっぱり彼らは手厚く保護されているのかなと。なぜ殺したかと質問だ出たところが法務官(アメリカ人)が(被告人に)『サイレント!』(いうな)と。だから動機の解明ができない」

日本側は沖縄で裁判権が初めて行使されたという達成感。一方で軍人を保護しようという戦略を固めてきたアメリカ側。

心神喪失を盾に、5回に及ぶ裁判は終了。

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1974年4月11日、夕刊の片隅に無罪の記事が載りました。

取材に対し、現在73歳になる弟・盛次郎さんは「40年経った今でも癒えることのない悲しみ」として事件のことは家族にも語らないそうです。

復帰から40年。ベンジャミン事件が起きた同じ日にある事故の控訴審判決が出る。

池宮城紀夫弁護士「40年経っても地位協定第17条が壁として立ちはだかる。本件そのものも地位協定の矛盾が出た事件」

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去年1月。アメリカ軍属の男性の運転する車が前の車を追い越そうと対向車線にはみ出し、軽乗用車と正面衝突。乗っていた当時19歳の男性が亡くなった事故。

これもベンジャミン事件と同じ、地位協定第17条により、当初公務中を理由に日本に裁判権がなく、軍属の男は不起訴となりました。

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しかし、遺族による署名活動や日米両政府への働きかけに一転起訴。明日、その控訴審判決を迎えます。

池宮城弁護士「これだけ米軍基地を押し込んでいて、犯罪は日常茶飯事。こういう状況を許しているのが地位協定なんですよ」

復帰から今日まで沖縄では30万件以上もの多くの犯罪が起きていて、その多くが不起訴、アメリカ本国でも裁かれずに終わっているという現実。今回の政府が運用改善と謳うものも小手先のもの、その場しのぎのものに過ぎず、運用改善には程遠い現実。地位協定からみると復帰とはなんだったのか、差別の高い壁はいまだ立ちはだかったままです。