68年前の8月22日、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没した学童疎開船「対馬丸」。2012年も犠牲者を追悼する慰霊祭が小桜の塔で執り行われました。 「多くの夢と希望を頂いていた幼い子どもたちが、国策…
うるま市の宮森小学校にアメリカ軍の戦闘機が墜落し、18人が亡くなった事故から53年目となる6月30日、慰霊祭が行われました。 慰霊祭では宮森630会の豊浜光輝会長が「私たち教師は子どもたちを守れなかっ…
2012年、沖縄戦から67年目の6月です。旧海軍壕では13日に慰霊祭が行なわれ、参列者は平和への思いを新たにしていました。 1945年6月、本島南部では激しい地上戦が繰り広げられ、旧海軍司令部壕にはお…
沖縄戦で犠牲となった児童・生徒や教育関係者の慰霊祭が2日、那覇市で開かれました。 慰霊祭には戦没者の遺族や教育関係団体の代表者など、およそ50人が参加。県教職員組合の山本隆司中央執行委員長は「教育者の…
沖縄戦当時、親を亡くした子どもたちを収容したコザ孤児院で26日戦後2回目の慰霊祭が行なわれ関係者やその家族が参列しました。 コザ孤児院には1945年からおよそ4年間、沖縄戦で親を亡くしたり兄弟と生き別…
67年前、アメリカ軍の魚雷の攻撃を受けて沈没し、およそ1500人が犠牲になった対馬丸の慰霊祭が22日、那覇市で開かれました。 対馬丸は1944年、沖縄の子どもたちや引率者を疎開させようと長崎に向かって…
67年前、アメリカ軍の魚雷攻撃を受けて沈没し子どもたちなどおよそ1500人が犠牲になった対馬丸の慰霊祭が那覇市で開かれています。那覇市の小桜の塔には朝早くから対馬丸の生存者や遺族たちが集まり、手を合わ…
1945年の沖縄戦当時、旧海軍の太田中将らが自決した豊見城市の海軍司令部壕で13日、慰霊祭が行われました。 慰霊祭には、1945年当時、海軍壕司令部の司令官だった大田実中将の遺族など県外から22人、県…
沖縄戦当時の県職員などで組織する島守の会の総会が5日、那覇市で開かれ2011年も6月23日に慰霊祭を執り行うことなどが報告されました。 島守の会は、沖縄戦で亡くなった県職員や島田叡知事を祭る島守の塔の…
15世紀の末、当時の首里王府の圧政に抵抗し、住民の先頭に立って戦ったといわれる「オヤケアカハチ」を偲ぶ慰霊祭が5日に石垣市で行われました。 慰霊祭はオヤケアカハチが住んでいたという石垣市大浜の住民が、…
戦争で多くの同僚を失った元県職員たち。慰霊碑建立の動きが次第に高まっていきました。 沖縄戦最後の激戦地・糸満市摩文仁にある島守の塔。65年前の今頃はまだ砲弾の跡が生々しく残り、多くの亡骸が横たわってい…
9月20日から26日は動物愛護週間です。那覇市では愛犬を自由に走らせることができるドッグランがお目見えしました。 ドッグランは広場に囲いを設けてその中で犬を自由に走らせるもので、普段リードでつながれて…