「1945島は戦場だった」きょうは拡大版リポートです。65年前の3月10日東京を襲った大空襲の被災者の一人が、今、いけばなという生きがいを見出し沖縄で力強く生きています。生け花を通して国内外の人々と交…
65年前の今日は積徳高等女学校の生徒たちが南部に入って看護実習を始めて三日目。二度と泣かないと誓約書を書かされた少女もいました。 仲里ハルさん「君らは軍服こそつけていないが初年兵だということで、ものす…
Qリポートは、ドクターヘリリポートの第9弾です。去年、募金など多くの人の支援で運航を再開させた北部の民間ドクターヘリ「MESH(メッシュ)」ですが財源を民間に頼るがゆえに、厳しい状況に変わりはありませ…
3月上旬、県内の女子学生たちにいよいよ動員命令がくだります。 65年前の3月6日。この日、県内の女学校4校に動員命令が下りました。このうち、積徳高女とともに看護教育のために24師団野戦病院に動員された…
65年前の3月6日に公布された「国民勤労動員令」。「兵隊以外の国民も労働力を提供せよ」というものでした。 議会の審議もなく勅令として公布された「国民勤労動員令」は、それまでの「国民徴用令」など労務提供…
去年7月の近畿まほろば総体。美ら島沖縄総体にむけて視察に訪れていた美咲特別支援学校の武内望先生。全国初の挑戦に向け、その表情は引き締まっていました。 武内先生「やればできるっていうのを障害を持っている…
空襲が激しくなる中、八重山の高等女学校の生徒たちに看護術教育が実施されました。 日本軍はアメリカ軍の進攻を阻止するため、旅団を置いた石垣島で徹底抗戦の作戦に出ました。しかし、空襲は日増しに激化。このた…
1945年3月上旬、県外への疎開が打ち切られます。1944年7月から始まった県外疎開は、沖縄本島・宮古、八重山、奄美などから10万人の子どもや高齢者を本土や台湾へと移送する計画でしたが、県民が最初のう…
Qリポートです。自らの命を絶つひとはいま、年間3万人を超えます。政府はことしから自殺者の増える3月を、対策強化月間とさだめキャンペーンを開始しました。しかしここ沖縄も、実は深刻な状況なのです。 去年、…
日本軍は石垣島飛行場の延長工事とともに、戦闘機の格納庫の建設も始めていました。 アメリカ軍の空襲が激しさを増す中、日本軍は石垣島飛行場の2本目の滑走路の建設に乗り出します。空港を建設すれば戦闘機の格納…
深夜、騒音を撒き散らし他のドライバーにも多大な迷惑をかける暴走族。沖縄は全国的にみても検挙数が多い地域です。彼らはなぜ暴走行為をするのでしょうか。中村記者です。 深夜になると騒音を撒き散らしながら、国…
65年前の3月、まだ10代の少年少女たちも戦場へと駆り出されます。 当時の県学務課と軍により、学徒の戦場動員が前年12月に決定。通信技術などの訓練はすでに始まっていました。 県内の中等学校のうち一番早…