今度の日曜日の「慰霊の日」を前にシリーズでリポートをお伝えしています。きょうは、これまであまり語られてこなかった障害者の沖縄戦に焦点を当てます。調査した男性の思いとは。

沖縄戦を知る事典。沖縄戦を体験していない戦後生まれのジャーナリストや研究者、そして学生など様々な立場の28人によって書かれたものです。今月1日のシンポジウムには、執筆者の代表5人が集まりました。

女学生「体験した人ではなく話を聞いて興味を持った人がいるということに感心した。自分ももっと興味をもって沖縄戦について自分がまだわからないこととか調べていけたらいいなと思いました。」

女学生「印象に残った人は上間さん、脳性麻痺の方」「自分の脳性麻痺のことを生かした今までにない新しい聞き取り調査があったので印象に残った。」

僕だからこそ書ける視点で障害者の戦争体験というものを語り継いでいきたい。

こちらの車いすの男性。執筆者の一人、上間祥之介さんです。上間さんは生まれつき脳性麻痺で車いすの生活をしています。

上間さん講和「私は脳性麻痺という肢体不自由の障害を抱えているんですけれども、僕だからこそ書ける視点で障害者の戦争体験というものを語り継いでいきたい。」

戦場ではおよそ1万人もの身体障害者が、ケガや病気、栄養失調など過酷な状況に置かれていたといいます。しかし、当時といえば日本全体が国の勝利に向かって突き進んでいたところ。障害のある人たちの周りにもその空気感が漂っていました。

上間さん「障害者の戦争当時置かれた状況は国にとって役立つか否かによって、その人の存在が決められていた。役に立たない人、差別用語で「ごくつぶし(穀潰し)」、食べるだけの役立たずという意味なんですけど、沖縄ではコメくい虫といわれていた。それでも国の役に立ちたいということで頑張った障害者もいたそうです。」「みんなの前で将来の夢は何になりたいのかと聞かれたときに当時国の役に立ちたい思いが時代背景としてあって、海軍大将になりたいと言ったら目も見えないのになれるかといわれて悔しい思いをした。」「普段負い目を感じている障害者は戦争当時、人一倍役に立ちたいという思いがあったが、周りの差別の目があって苦しい思いをしてきた。そういう思いを僕自身が伝えていくこと大事。」

障害があるがゆえに思いがけない疑いをかけられることもあったといいます。日本兵にスパイではないかと問い詰められた。耳が聞こえないことを身ぶりで訴えたが伝わらず紙に書いて伝えた。

上間さん「この方は耳に障害があったということで戦争中は家族と一緒に逃げたということだが逃げた際に日本兵からしゃべれないことでスパイ容疑をかけられたということなんですね。」

手話が敵に合図を送っていると勘違いされてしまって

上間さん「手話が敵に合図を送っていると勘違いされてしまって、あいつは敵に合図を送っているからそういうやつらは排除しないといけなということで捕らえられたという人が多かった。」

戦争中は障害があることによってのスパイ容疑だったりいろんな拷問を受けたりといった事例も多かった。およそ2年半かけて障害者の戦争体験を調べた上間さん。次のように語りました。「僕自身、戦争だけでなく地震や津波など災害の時も含めて一番最初に犠牲になるのは立場の弱い障碍者と言われているので、そういう状況になった時には一番最初に犠牲になるのかなと感じています。」

健常者が障害者の戦争を伝えるのは難しい。だからこそ自分が語る役割は大きいと上間さんは話します。

一番最初に犠牲になるのは立場の弱い障碍者と言われている

上間さん「障害当事者から見る戦争体験、当事者目線の戦争体験はなかなかないと思うのでそこが私の強みだと思う。障害者の当事者目線に立って沖縄戦を皆さんに伝えていくことが大切。」あまり語られてこなかった障害者の沖縄戦。上間さんの調査は続きます。