著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
太平洋戦争当時アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受け沈没した学童疎開船「対馬丸」8月19日、5人の遺影が対馬丸記念館に新たに掲示されました。
太平洋戦争末期の1944年8月22日学童疎開船「対馬丸」は沖縄から疎開先の九州に向かう途中、トカラ列島悪石島の北西およそ10キロ地点でアメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈。
学童疎開として乗船していた784人の子どもを含む少なくとも1484人が犠牲となったとされています。
8月19日新たに遺影が追加されたのは知念千代子さん(14歳)又吉エミ子さん(6歳)又吉啓之さん(8歳)の3人の学童疎開と一般疎開で乗船した又吉カメさん(29歳)又吉久子さん(3歳)の合わせて5人です。
遺影を提供した又吉啓次郎さん「私たちもこの写真のことを知っていることは私たちぐらいなんですよ。お家に飾っているんですからどうしようかなって思っているときに何かで写真が集めているのをみたんですよ、こっちにお願いしようということでこう立派にやってくれてありがたいと思っています」
現在、掲示されている遺影は417人で全ての犠牲者数の約4分の1となっています。対馬丸記念館では「多くの亡くなった方々の生きた証としてこれからも発信していきたい」と更なる遺影の提供を呼びかけています。