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シリーズでお伝えしています「復帰50年」。きょうは復帰後50年を地図、とくに大きく変動した沖縄本島中南部を中心に考えます。「GIS」という地理情報システムを元に沖縄の地形を研究している男性に詳しく話をききました。

4月上旬。旧暦で3月3日のこの頃、潮の引いた浅瀬では「浜下り」を楽しむ人々の姿が見られます。

夫婦「ティラジャーとか、大当たりクモガイとか。楽しかったです、でももっと前はもっともっといっぱいでしたよ。(小さい頃と変わった?)変わってるかなとは思いますけど、でも海きれいですからね。このきれいさは変わってないかな」

しかし、沖縄本島、特に中南部では、この50年でこのような「浜下り」が出来る「イノー」と呼ばれた浅瀬は殆どが姿を消しました。埋め立てによる開発などで地形は大きく様変わりしたのです。

渡邊さん「この道がちょうど埋立の境目位(だったんでしょうね)昔の海岸線のあとに立っている。古いから、どうしても道路がまだ狭くて」

沖縄GIS研究室の渡邊 康志(わたなべ・やすし)さん。GISとは地理情報システム(Geographic Information System)の事で、例えば空中写真や地図、海図、土地利用、地質図などをひとつの地図上に座標軸のブレなく重ね合わせる手法です。渡邊さんは沖縄のGISを25年に亘って研究し続けています。

それでは、変化が大きかった沖縄本島中南部の復帰後50年の様変わりを見てゆきましょう。

渡邊さん「車内・与根あたり来たばかりの頃はこの辺塩田の跡が少し残っていた。もうやってはいなかったけどうっすらと。40年位前」

地図で見ると戦後すぐの1950年代です。那覇のあたりに少し埋め立てられている場所があります。1970年。那覇の海岸や浦添の北側・北谷に埋立地ができました。復帰から5年後の1977年。だいぶ埋め立てが進んでいます。1990年代の初期には、いま私たちが生活している場所が出来上がっていることがわかります。

復帰50の物語 第13話 地図から読み解く50年

2010年には、ほぼ現在と変わらなくなり、2020年。那覇空港の第2滑走路が誕生しています。

渡邊さん「やはり復帰後に急激に埋め立ての面積が増えていることがわかると思います」

この図に、周辺のサンゴ礁を重ね合わせてみます。点線がサンゴ礁を現しています。どのくらいの範囲が埋め立てられてしまったのか一目瞭然です。

渡邊さん「完全にこれはもう元・海の上を走っている。全体はきれいなサンゴの海でしたよ、初めて来た頃は海でした」

住宅地として発展した糸満市の西崎や商業地として発展中の豊見城市の豊崎、さらには浦添市の西海岸道路も海を埋め立ててもたらされたものです。

渡邊さん「私たち中南部に住んでいて基地の広大さとか負担を考えるときがあると思うんですが、もしもサンゴ礁に口があれば「私たちも同じ思いです」と言ってくれるかなと思いますね。

「1950」、「70」、「77」、「93」、「2000」、「2010」、「2020」年と戦後70年の埋め立てを積みあげてゆくと、実にその面積は「27.4km2」にも及びます。

復帰50の物語 第13話 地図から読み解く50年

この面積、実は。嘉手納基地、普天間基地、牧港補給地区の面積を足したものとほぼ同じなのです。

土地を造成したことがわかる「切土・盛土分布図」を見てみると例えば仙台では土地を削った「切土」と、それを埋め立てた「盛土」はほぼ同じであることがわかりますが、沖縄では明らかに「盛土」が少ないことがわかります。

渡邊さん「(切りやすい土砂を)谷埋めにも少し使うが、あとは海を埋め立ててしまおうとすると平らな土地が上の図の倍は作れるという事で、サンゴ礁の海は水深せいぜい数メートルという事を考えれば非常に効率的であると当時の政策を考えた方々は考えただろうなと」

渡邊さん「現在は120万くらいのひとがここに住んでいる、そういう人たちが沢山活動していくためにはある意味仕方のなかった部分が多数あったのじゃないか」

渡邊さん「「ここは地図のなかでは一番新しい豊崎という地名の埋立地。イノーが広がっていたところを埋め立てて海は堤防に囲まれた。いま沖縄のビーチっていえばこういう風景を皆さん思い浮かべてしまう観光客の皆さんは沖縄の海っていうとこれを想像されるんじゃないかと」

渡邊さん「浅くてきれいなところは昼の光もよく通るからサンゴがきれいに生えるところはやっぱり埋めやすいんでしょうね、波も穏やかでほどほどの深さでそういう場所は埋める立場にしたらとっても埋めやすいんでしょうね、皮肉だなって」

復帰50の物語 第13話 地図から読み解く50年

復帰50年。沖縄は経済の発展と引き換えに多くの自然を失い続けてきました。沖縄といえば「青い海」を多くの人が思い浮かべるはずの美しい海。

埋め立てられた海岸線は2度と元には戻りません。これからの50年、ワッター島の魅力を今一度、どのように保全するのか考え直してみることも必要です。

このように埋め立てが進んだ理由、中南部の人口増がひとつの原因であると考えられます。仮に中南部がひとつの都市であったと仮定すると面積では福岡県の北九州市ほど。人口は現在、約120万人。これは広島市とさいたま市の間くらい。人口密度をみると2516人。神奈川県の相模原市や兵庫県の神戸と同じくらいです。

ただしこの数字には米軍基地は含まれておらず、住めない米軍基地を除いて計算し直すと2900人。神戸を抜いて政令指定都市の千葉市に近い!

それらの街がどういう発展・沿岸部をどう利用しているかを想像してみれば沖縄もこういう風になったというのはある程度頷ける。

沖縄に限らず平地が少ない日本では、海岸線をモリモリ埋め立てて(東京湾しかり、神戸しかり、大阪しかり)発展したという歴史は全国的な現象ではある。とはいえ銃剣とブルドーザーで奪われた分だけ海に開発する場所を求めていった沖縄の事情はあると思われ、沖縄にもし米軍基地がこれほどまでに存在していなかったら?