シリーズ非戦の誓い。那覇市に開館した施設があります。そこは地域のコミュニティセンターとして使われるだけでなく、そして、戦時中に古里を奪われたある集落の歴史を風化させないための役割も担っていました。

1カ月前、ある施設が完成し、お披露目を迎えました。

金城栄一さん「本当によくここまでできたなということと、涙は実際には出ていないけれども、涙が出るくらいうれしい。」

こう話すのは施設を建てるために尽力した金城栄一(きんじょう・えいいち)さん。この日完成したのは地域のコミュニティセンターとしての活用が期待されるともかぜ振興会館です。

非戦の誓い ともかぜ会館 オープン

そして、ともかぜ振興会館にはもう一つ大きな役割があります。

金城栄一さん「そこの先人たちの生きざまを誇りに思い次世代の人たちに伝えられる。」「大嶺と無くなった集落にあるけれど、生き生きとした集落の物語をここで聞かせますと」

ともかぜ振興会館は戦時中に土地を強制接収され、消えていった大嶺集落への補償として建てられたものだったのです。栄一さんはこの大嶺集落の出身で戦後補償を求めて20年以上国と闘ってきました。   

金城栄一会長「最初に(地主会を)立ち上げたときは大きな国に対して、戦後処理をどうのこうの言ってそんなできるわけないだろうと。」

現在の那覇空港の場所にあった大嶺集落。漁業や農業をしながらおよそ350世帯1500人以上が暮していました。しかし1943年、戦争が近づくと日本軍が飛行場建設のために集落の土地の半分を強制的に接収。そこに暮らす人々は、ふるさとを追われることになりました。

金城栄一さん「古里がないということは木で言えば根っこがないという意味なんですよ。根っこがないということで浮き草ですよ。」「大嶺がどこにあるかも私たちの子どもたちですら孫たちですらわからないんですよ」

戦時中から戦後にかけ、県内では大嶺集落のほかにも宜野湾や嘉手納など、様々な地域でアメリカ軍や日本軍によって土地とそこに住んでいた人たちの日常が奪われました。宜野湾市立博物館では、戦後米軍に土地を接収された新城集落の歴史について知ることができます。

Q企画展の意味 新城集落区長「皆さんに来ていただきて知っていただいて、地域がどういう風にしてできたかを知っていただければ十分です。」

新城自治会長の山城百合子(やましろ・ゆりこ)さんは、企画展の開催を喜ぶ一方で、若い世代への歴史の継承の難しさを語ります。

Q若い人たちにどうつなぐか? 新城自治区長「自分の親御さんから聞くとか、そういうことしかできないんじゃないかな。私なんかでもそんなにわからなくて、自治会にいなければそれもわからない。」

戦争体験者の高齢化が進み、若い世代へ沖縄戦の歴史をどう継承するかが課題となっています。

非戦の誓い ともかぜ会館 オープン

金城栄一会長「私たちはこれをこの会館をどう生かして、どう使って歴史を故郷が、かの地にあったということを伝えきれるかが、先人先輩たちに対する感謝の気持ちじゃないのかなと」

土地を追われた大嶺の歴史を伝えたい。そんな栄一さんの活動を息子の判(わかつ)さんは見続けていました。

金城判さん「これもう無理じゃないかという場面もたくさんあったかとおもうんでうけど、そこをあきらめずにやったというのは、ここの完成と同時に我々家族としてはそういった父の背中を十分に見させてもらって最高の教育をしてもらったかなと家族として思っています。」

大嶺集落を語り継ぐ。栄一さんの思いは、判さんにもしっかりと引き継がれました。

金城判さん「この会館を利用しながら地元の大嶺のオジーやオバーが来た時に一緒に話して、「あんたどこの孫?」とかそういった会話の中で自分たちの故郷のこととかを思いながら、あそこに会館設立の大きなボードがありますけど、そういったのを子供たちがただ読んで、いま理解できないかもしれないけれど、何年か後にそういう意味があるんだねっていうのを理解できる場所というのがあればいいなと思っている。」

大人から子どもまで多くの人が集まることができるともかぜ振興会館。若い世代へ沖縄戦を継承する新たなモデルケースとして、活用が期待されます。