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戦後75年を迎えた今年。新型コロナの影響を受け、児童みんなで、語り部の話を聞くという従来の平和学習ができなくなった小学校がありました。それでも平和への思いを、次の世代へ伝えていくため、学校現場では、新たな取り組みが始まりました。

髙良さん「私は対馬丸記念館の館長をしています、髙良政勝といいます。4歳のときに対馬丸に乗りました。」

先月17日、慰霊の日を前に、名護市の小学校では、いつもとは少し違った平和学習が行われていました。テレビ画面で語られる戦争体験。戦後75年の今年。平和学習の現場には、ある変化が起こっていました。

先月6日、カメラや三脚を抱えて対馬丸記念館を訪れたのは、名護市立大北小学校で平和教育の担当をしている、知念綾香先生です。

シリーズ 非戦の誓い コロナの中でも伝える沖縄戦

大北小学校・知念綾香先生「コロナの影響で講師を呼ぶことができないので、きょうは、対馬丸記念館さんの方にお願いしますということで。」

例年なら語り部の講話を聞くため、体育館に集まって行われていた平和学習。今年は新型コロナの影響で、まったくできなくなってしまいました。そこで、子どもたちに戦争の悲惨さ、命の大切さを学んで欲しいと、先生たちが考えたのが、ビデオでの平和学習だったのです。

仲宗根勝也校長「担当の知念先生がビデオの撮影ということを思いついて、やってみましょうと、各学級でできるので、非常にいいんじゃないかということで、このような形になりました。」

語り部は、対馬丸記念館の理事長、髙良政勝さんです。今から76年前の1944年8月、当時4歳の髙良さんは、本土に疎開するため、家族や兄弟とともに対馬丸に乗船。しかし、アメリカ軍の魚雷を受けた対馬丸は沈没し、髙良さんの両親と兄弟7人のほか、775人の子どもの命が奪われました。

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髙良さん「私は(当時)4歳ですので、当時のことはほとんど覚えていません。覚えてないといっても、非常に印象的なことが、ちょっと覚えてます。一つは海に投げ出されて、非常に、塩水で鼻や目が痛かったこと。」

慣れないビデオ撮影でしたが、髙良さんは対馬丸のことを子どもたちに知ってもらうため、カメラ越しに自身の経験を語りました。

コロナの影響で戦争体験者が直接、子どもたちに話す機会が奪われたため、ビデオで体験を伝える髙良さん。

髙良さん「ただ本当は私は自分ひとりで助かったわけではないんですね。前からくる波に気を取られて、一生懸命すがっていた。離すまいとすがっていた。ところが後ろから親父が抱いていたんですね。」

こちらは髙良さんの父、髙良政一さんの写真です。海に投げ出されてから3日間、ずっと幼い髙良さんを抱えていたといいます。

髙良さん「(救助に来た)船員がこの子を私に渡しなさいということで、助けた。そうすると、親父は、三日間の疲れがパッと出たと思うんですよ、私は助けられたと同時に海に沈んでいったみたいなんですね。ですから、本当に私の命は父から貰ったようなものです」

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コロナの影響で子どもたちへの講話を自粛せざるを得ない状況が続くなか、髙良さんには、ビデオを通して子どもたちに伝えたいことがありました。

髙良さん「大北小学校の子どもさんたちも、お父さんお母さんというのはね、自分の命に代えても子どもを助けたいと。世界何十億といますけど、家族というのは、今いるだけですからね、家族仲良く、大切にしてください。」

家族を大切に。それが髙良さんが子どもたちに一番伝えたかったことでした。

女子児童「いままで、お姉ちゃんとかにイラつくとか言ってたけど、ちゃんと大事にしようと思いました。」

男子児童「(Q.ビデオを見て感想は?)これからもずっと、戦争のない平和な世界になったらいいなと思いました。」

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仲宗根勝也校長「変わってはいけないものと、これから変えていかなければいけないものとあると思うんですけど、沖縄の地で戦争が起こったということに関しては、これからも変わらずにずっとやり続けなければいけないことだと思っています。」

新型コロナの影響で、教師たちにとっても初めてだらけの平和教育となった今年。改めてその大切さを考させられました。