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差別や偏見のない社会を実現しようと声を上げた人たちの思いで掴み取った勝訴という「歴史的な判決」。ハンセン病患者に対する国の誤った隔離政策によって普通の生活を失ったとして、患者の家族が国を訴えた裁判、沖縄で判決の行方を見守った男性がいました。

ハンセン病 差別 偏見と闘った家族

ハンセン病元患者の家族・宮城賢蔵さん(71歳)「はい、はい…おー、良かったぁ、先生…」

裁判に勝ったという知らせを受け安堵の表情を浮かべる宮城賢蔵さん。

宮城賢蔵さん「ありがとう、みなさん。ほんと、きょう、肩の荷が下りた」

『ハンセン病家族訴訟』の原告の一人です。

原告団長「私は誰に問われても『父は死んだ』と答えてきました。らい者(ハンセン病患者)の身内であることを世の中に知らせて、幸せになった人間など誰一人もいない」

ハンセン病 差別 偏見と闘った家族

『ハンセン病家族訴訟』は90年近く続いた誤った「強制隔離」という国策が原因で、差別や偏見に苦しめられたとして、元患者の家族が国に謝罪と損害賠償を求めた裁判です。全国各地から集まった原告は561人、沖縄からの参加が最も多くおよそ4割にあたる250人を占めています。

ハンセン病 差別 偏見と闘った家族

宮城賢蔵さん「母親は、私が生まれて95日目に沖縄愛楽園に連れていかれた。親の顔もわからんから会いにも行けない。こんな苦しいあれもあったよ」

母・ノリコさんのハンセン病が発覚し、療養所に収容されたのは賢蔵さんが生後3カ月の時でした。引き裂かれた母と子の絆、苦難はそれから、賢蔵さんの平穏な暮らしも奪われてしまったのです。

宮城賢蔵さん「自分はバリカンでやってくれなかった、床屋さん。さびたハサミで髪切って、その髪を切った後、カミソリで頭を剃りよった。痛かったよ、あの時…」

道を歩けば石を投げられ、獣道を通り、隠れるように学校と家を往復する日々でした。

宮城賢蔵さん「ハンセン病に対しては伝染病という感覚、みんなこれを持っているから、だから偏見な顔で見るわけよ」

賢蔵さんは中学を卒業すると同時に沖縄を離れ、県外に移り住みました。

宮城賢蔵さん「自分には、結婚も何もできないという思いが強くて(沖縄を)出ていった。(国には)膝をついてごめんなさいって謝ってほしいよ」

「国の責任を認めて謝ってほしい」賢蔵さんは3年前、裁判で闘うことを決意、国を相手に立ち上がったのです。

宮城賢蔵さん「沖縄で言う『クンチャー(米くい虫)』の子どもだとハンセン病の子どもだと言われるのが嫌でよ…」

ハンセン病 差別 偏見と闘った家族

らい菌という細菌が原因で引き起こされる『ハンセン病』。感染力は弱く、完治する病気にもかかわらず、国は患者を療養所に強制隔離する政策を90年近くも続けました。そこでは「断種」や「堕胎」も行われていました。

「ハンセン病は怖い病気」という意識を植え付けた誤った国策が人としての尊厳を奪ったのです。

菅直人厚生大臣(当時)「心からおわびを申し上げます」

23年前、国は過ちを認め、患者や遺族に謝罪。しかし、元患者の家族への差別や偏見は見逃されてきました。

宮城賢蔵さん「こういう歴史があったということは絶対消してはダメよ。歴史は消せない、歴史は生かすもの」

3年前、元患者の家族たちが立ち上がり、北は北海道から南は沖縄まで、561人で起こした『ハンセン病家族訴訟』。

宮城賢蔵さん「悔しいよ…。商売すれば、あっちの店は親が愛楽園(=ハンセン病)と言う。病気をうつったらあんたたちどうするかって…苦しめられる」

ハンセン病に対する誤った認識が原因で苦難の人生を余儀なくされた賢蔵さん。商売を始めた時、結婚した時、人生の節目で受け続けた酷い差別を法廷で証言しました。

宮城賢蔵さん「ハンセン病に携わっている人、家族はいっぱい(表に)出てきてほしいな。みんなで声をあげて愛楽園(ハンセン病)というのを理解してもらわんと…」

それでも、賢蔵さんのように名前を公表して裁判で闘っている人はほとんどいません。差別や偏見は今も社会に…、そして、それを受けてきた痛みは原告たちの心に残っているのです。

「国の責任を認め謝ってほしい」裁判はおよそ3年続きました。

そして、司法の判断が示される、その時…

ハンセン病 差別 偏見と闘った家族

『違法な隔離政策で家族も差別され、生涯にわたって回復困難な被害を受けた』

原告側の主張が認められました。裁判所は差別や・偏見をなくす対策を取らず差別の構造を作り出した国に責任があると判断し、原告らの主張を全面的に認めたのです。

宮城賢蔵さん「自分が言ってきたこと、今まで、法廷で述べたことが正しかったっていうこと。6月28日っていうこの日は一生忘れられない」

裁判に勝っても失われた時間が戻ってくることはありません。

原告団の副団長「自分の人生を取り戻しようがないわけですよね。それを思うと本当に心の底から喜べるものかなというふうに思う」

人生をかけて絞りだした原告たちの声に耳を傾け、差別や偏見をなくすために何をすべきか?今、社会の在り方が問われています。

ハンセン病 差別 偏見と闘った家族