たどる記憶つなぐ記録です。今回は、戦争PTSDについて考えます。戦場を生き延びても深く刻まれる心の傷語られることのなかった家族の苦しみに社会がようやく耳を傾け始めました。
3月6日 沖縄大学 集中講義「沖縄戦とPTSD」
戦後80年の今年沖縄大学では「いのちの未来の平和学」という集中講義が行われました。
この日のテーマは「沖縄戦とPTSD」講義では、沖縄戦がいかに人々の心に苦しみを与えたか、そして、沖縄社会に今もその影響が残っていることが説明されました。

講義では、戦争PTSDに苦しむ家族同士を繋ごうと活動するある男性も紹介されました。
東京都武蔵村山市の住宅の一角にありますこちら、戦争トラウマに苦しんだ家族が安心して語れる交流の場です、父親が戦地から持ち帰った心の傷に苦しめられた家族たちが今ようやく声を上げ始めています。
羽田空港からバスで2時間。6畳ほどの小さな部屋には、戦争に関する資料や書籍などが天井からずらりと並んでいます。ここは「PTSDの日本兵と家族の交流館」その会を一人で立ち上げたのが黒井秋夫さんです。

黒井さんの父・慶次郎さんは、戦時中満州などに出兵し、終戦後に黒井さんが生まれました。
黒井さんのホームビデオ「おじいちゃん、ピースしてくれ早くしてくれよ」
幼い孫の呼びかけに応じない高齢の男性父、慶次郎さんの晩年の様子です。34歳で生きて帰ったものの亡くなるまでのおよそ40年間、定職にもつかず家族は貧しい生活を送っていました。

黒井さんは、慶次郎さんが亡くなった後2015年に世界を周るクルーズ船に乗船。船内で上映されたPTSDに苦しむベトナム戦争の帰還兵アレンネルソンさんの映像を見て自分の父親の姿と重なったといいます。
黒井さんはすぐに船内で参加者から話を聞くことに、その中には元特攻隊員の娘が乗っていて、父からの家庭内暴力と戦争とをあわせて考えたことがなかったと聞かされました。

この事実を埋もれさせてはいけないと元日本兵の家族が交流できる会を立ち上げようと決意したのです。
好きになれなかった父、慶次郎さん。改めて遺品のアルバムを整理すると、そこに映っていたのは別人のような精悍な顔つきの父の姿でした。
写真と一緒に添えられた文章からは、晩年の父からは想像できない力強い言葉が残されていました。

また、元日本兵の家族が自らの体験も語るようになってきました。
父親が背負った戦争の苦しみをようやく言葉にできるようになった家族たち。黒井さんの元には、父親からの性暴力の被害や、親からの連鎖で子どもへ虐待をしてまったという証言も寄せられています。

PTSDに苦しむ元兵士や、その家族について知ってもらいたいと活動をしている黒井さん、交流館へ訪れる人の多くは、地域の小学生たちです。
「自分の食べる分だけとるんだよ! はい (お菓子をとる)」みんなは、この場所をなんて呼んでいるの? 子どもたち「駄菓子屋さん!無料の駄菓子屋さん」
交流館は、おかしを無料で食べられたり、本を読みながらお茶を楽しめる場所で、子どもたちの憩いの場になっています。

世代を超えて苦しみが連鎖する戦争PTSD、黒井さんは戦争や暴力では何も解決しないと訴え続けます。
黒井さんは沖縄戦の傷跡が残る壕や日本兵の遺骨が眠る場所を訪ね歩き、来月3日には戦争PTSDについてのシンポジウムで講演します。
