戦後80年の節目に戦争について考えるシリーズ「たどる記憶・つなぐ平和」です。23日の慰霊の日、糸満市にある「白梅の塔」で行われた慰霊祭に参列し、手を合わせる人々がいました。
先月このコーナーでお伝えした元・白梅学徒で去年亡くなった中山きくさんの半生を描く芝居「星見草」の公演を終えたメンバーたちです。彼らの描いたきくさん、そして戦時下を生きた人々の生きざまとは。

祈りの鐘の音に続いて、美しく、静寂でいながらも深く、なつかしいような、不思議な響きの音楽とともに舞台は始まります。1995年。戦後半世紀が過ぎた頃、きくさんの元に届いた一通の手紙。それとタイミングを同じくして現れたのは、元学徒の旧友たち。3人は戦時下でも共に歌い、はしゃいだ懐かしい日々を振り返ります。ただ彼女たちの姿は、甥の信一さんには見えません。
ところどころに笑いも盛り込まれています。しかし戦況が悪化、日本軍に従軍していた少女たちも追い詰められてゆきます。そして遂に。

はるちゃん「黄りん弾の後は火炎放射が来る、そのことを知っていたから残った右腕で必死に奥へ逃れようとしたけど激しい炎が私を襲った」
文ちゃん「それが手りゅう弾だと気づいた時にはもう遅かった。私は、彼との約束通り生きることは出来なかったけど」

はるちゃん「謝ることなんか何もないんだよ」
文ちゃん「そうだよ、きくちゃんは堂々と生きていいんだよ」
はるちゃん「きくちゃん、戦争で死ぬのは私たちでおしまいにしてね」きくさん「うん」
文ちゃん「きくちゃん、私たちのように戦争のある人生を、これからの人には歩ませないでね」きくさん「うん」
生き延びてしまったことにずっとやましさを抱えていたきくさん。残りの人生、語り部として活動する事を決意します。
きくさん独白「戦争中の私たちは狭い壕の中、暗闇、疫病、膿とウジ虫、糞尿と悪臭に囲まれて飢え、不眠不休の重労働に加え、鉄の暴風に曝され、死の恐怖に怯え続けていました。夥しい人の死の場面を見せつけられました。そこでは人間らしい感情はかき消され、殺さなければ殺されるという図式だけがまかり通っていました」
きくさん独白「当時私たちは女学校最上級の4年生。平和な時代なら卒業や進学を控えて将来の夢と希望に燃えている年頃です。そんな多感な時期に私たちは沖縄戦に巻き込まれ、暗い時代を体験しました。大切な人をたくさん失い、楽しかった学校も美しい自然も、持てるものすべてを失くしました。その心の傷は癒えることなく痛みに耐えながら今を生きています」

広島で原爆体験者の継承活動をしている観客「生き残った人の話を聞いてそれを語っているんですけど、その人にもいろんな後ろめたさとか葛藤とかあって、すごく重たいことだなと思いました。こういうの知れば知るほど話すのって簡単じゃないなって」
うるま市の女の子「体験していないからどのくらい大変だったかわからないけど、いま私がちゃんと話を聞いて何かしないと次の私たちの世代でストップするから、ちゃんと沖縄戦について知って次の世代に語り継ぎたいなと思います」
津波信一さん「やっと第一段階というか、最後みんなの拍手の大きさでちゃんと作品として形になったと、カチって完成したような気がしました、とりあえず第1稿が」
島袋寛之さん「どんなに言葉を尽くしても戦争は語れない、というのは思いながらただ、僕らができること、感情の部分でどれだけ寄り添えるかというところを意識してもらって。戦争は「歩まされている」というところがあるんじゃないかなと思っていて、そこを心の目で見て、どうみんなが行動していくか、という思いは届けきれたのではないか」

津波信一さん「今回の舞台で全部を、というのはおこがましい、そういう気持ちは持っておきたいと思う。始まったばかりかなと。ゴールは遠い、多分ないし。平和になったらこんな芝居やらなくていい、本当は」
きくさん独白「私たちは戦争を知らない今の人たちに強く訴えます。戦争は知らず知らずのうちに国民を巻き込んでいくものです。突然起こるものではありません。今を生きる、そして、これからを生きる、すべての皆さんは決して私たちと同じ轍を踏んではいけません。物事の真実をよく見極めて、そこにある本当に大切なものを心の目で見て下さい。思っているだけでは平和は来ない。行動するのよ」
