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この事故の後、亡くなった高校生、武石知華さんの遺族は癒されることのない思いをウェブ上で発信しています。

つづられているのは知華さんの生い立ち、研修旅行の「異質さ」など、遺族として「風化させたくない」という率直な思いです。

父親「私にとっては初めて会った取引先の人にも、2人の娘の自慢をしてしまうくらい、明るく、優しく、聡明な子でした。家族4人で過ごせる幸せな時間はずっと続くものと思っていました」「こたつで昼寝をしているときの顔と変わらない、冷たい。なんで死んでるの、パパは4ヵ月も会ってなかったよ。起きなよ、知華」

辺野古の事故から1ヵ月 遺族が伝える「note」

母親「もし、私が『辺野古・ボート』という単語にもっと敏感に反応できていたとしたら、もし、私が過去の研修旅行のレポートや写真を検証する手間をかけていたとしたら、もし、私が先生にボートの発着場所やルートを確認していたとしたら、もし、私が……。」

これは、知華さんの遺族が綴るSNS、家族全員で相談しながら、知華さんの生い立ちや将来、学校や運航団体への「異質さ」など様々な思いが書かれています。

先月16日、名護市辺野古沖で発生した2隻の船の転覆事故。研修旅行で訪れ、船に乗っていた高校生の武石知華さんと、船長の2人が死亡しました。

知華さんは、消防に救助された際、着用していた救命胴衣が船に引っ掛かった状態で見つかり、司法解剖の結果、死因は溺死でした。SNSの更新は、知華さんの葬儀を終えた5日後の先月28日から始まり「note」と「X」のフォロワーは現在、合計11万人を超えています。

辺野古の事故から1ヵ月 遺族が伝える「note」

父親「次女、知華は2008年10月に生まれました、仕草がとても面白くかわいらしい赤ちゃんでした」

4人家族の次女として生まれた知華さんは、父親の仕事の都合から、2歳半の時にインドネシア、ジャカルタへ。インターナショナルスクールに通いながら11歳まで過ごしました。

母親「あと3分、髪のセットを終わらせてくれれば、朝の送りも急がなくて済むのに、と毎日心の中で笑いながら思っていました」

2021年「日本のJKになりたい」と、一足先に帰国した姉を追いかけて、同志社国際の中等部に入学。母親と姉と3人で、京都での生活。自由な校風で、制服や髪型、髪色に制限がない中で、おしゃれや「推し活」を楽しむ、普通の生徒でした。

辺野古の事故から1ヵ月 遺族が伝える「note」

その一方で、高等部に上がった1年の夏には、校内選考で選ばれた制度で、アメリカのハーバード大学に短期留学できるプログラムに参加。帰国後はアメリカへの進学を視野に進路を描くなど、将来に希望を持っていた矢先の事故だったといいます。

今月1日に父親は「沖縄研修旅行の異質さ」というタイトルで記事を更新。学校が事前の安全、認可、保険の確認を行わず、現地の引率放棄をよしとしたこと。「抗議船」と認識されている小型ボートに、定員ぎりぎりの生徒を乗せ、海保の船が監視する中、通り抜けたこと。当日まで「抗議船」に乗ることを知らされておらず、保護者への情報が不足していたこと。普段の学校生活を聞く限りは感じていなかったために「あまりの異質に唖然とした」とつづっています。

知華さん「美ら海水族館に行きたいんだけど、美術館で怖い絵を見るよりかは、お友達と綺麗な珊瑚礁を見る方が楽しそうじゃん」

辺野古の事故から1ヵ月 遺族が伝える「note」

母親からなぜ辺野古を見るコースを選んだのかと尋ねられたとき、知華さんはこう答えたそうで、記事には、母親は今も自分を責める声に押しつぶされそうになっている、と記されています。

さらに父親は「沖縄や辺野古は、様々な現在進行中の課題を肌で感じることができる場所で、学校教育の一環としてここを訪れるのであれば、多面的に考える場が提供されるべき」だとして、平和学習の「あるべき姿」にも言及。文科省や教育委員会に、改めて平和学習の在り方について実態調査を行うことを求めています。

辺野古の事故から1ヵ月 遺族が伝える「note」



フカボリ 辺野古の事故から1ヵ月 遺族の「note」

ここからは取材を続けている山本記者とお伝えします。

山本記者「よろしくお願いします」

亡くなった武石知華(ともか)さんのお父さんは、通夜、葬儀を終えてすぐにSNSを始めていますが、どんな内容を明かしていますか?

山本記者「はい。不定期で更新しているSNSですが、4日前からは事故当日以降の出来事を家族の目線で記録した内容を時系列で発信していて、現時点では発生から2日後までの出来事を記載しています」

「第一報は知華さんと同じ船に乗っていた友人の親からの電話だったこと」

「遺体は見える傷も服で隠れている部分の傷も想像より多くひどかったこと」

辺野古の事故から1ヵ月 遺族が伝える「note」

「知華さんに贈る最後の服を買おうと、家族3人でショッピングモールへ向かったことなどが明かされています」

胸が押しつぶされそうになるような記録や思いが綴られています、そしてきのうも内容が更新されたのですよね?

山本記者「はい。事故から2日後の早朝、お母さまが一人で辺野古漁港に向かい撮影した映像がアップされていました」

山本記者「連日『最期の場所を見なければならない』と、ずっと口にしていたお母さまが、知華さんが着ていた服と帽子を身に着けて現場に向かったことが書かれています。知華さんに迎えに来たことを伝えながら写真と動画を撮ったということです」

辺野古の事故から1ヵ月 遺族が伝える「note」

山本記者「またこの日『もっと現場に近い海岸に行きたい』とアメリカ軍や海保に相談し許可を得てキャンプシュワブの敷地内で黙とうしたことも綴っています」

たくさんの思いを短期間に更新していますが、そこにはどんな理由があるのでしょうか?

山本記者「初めて投稿した記事でお父さんは当初、知華さんや学校、生徒に対するデマや誹謗中傷が見られる中で『情報を表に出さず反論しないことで世間の興味は離れ、沈静化に向かうかもしれないが、それでは誤情報を訂正する機会も失われ、世間の認識が誤ったまま風化していくことも意味するため、苦しい中でもできる範囲で発信を始めた』と記載しています」

山本記者「文末には必ず事実解明につなげるための情報提供を求めてメールアドレスを記載しています。些細な情報でも欲しいという、ご家族の思いが伝わってきます」

事故発生から1か月、海上保安本部や国などの調査、捜査は、様々な方面から進められていますが、ご家族の思いに応えるためにも一刻も早い事故の原因究明が求められています。

ここまで山本記者とお伝えしました。

辺野古の事故から1ヵ月 遺族が伝える「note」

辺野古ボート転覆事故遺族メモ|note