先週木曜日の戦後80年企画で紹介しました元通信兵の瀬長俊雄さん。おととい97歳のカジマヤーを迎え、その模様に密着しました。
カジマヤー当日、袴は着ず背筋の伸びたスーツ姿で登場したのは瀬長俊雄さんです。早速オープンカーに乗り込み地域をパレード
「おめでとう!」「おじいちゃんかわいいねおめでとうして」
子どもたち「じーじなんか 足が速くね?じーじいつもこんなだよ めっちゃ早いよじーじー足はやいよ」
子どもたちに囲まれて颯爽と歩きます。俊雄さんの日課は、毎日欠かさず2キロのウォーキング。元気の秘訣はそれだけではありません!
10月9日朝は、新聞2紙をくまなく読み、世界の出来事から地域のニュースまで頭にインプット、コーヒーは豆から丁寧に挽き、その香りを楽しみながら一日のスタートをきります。さらに、驚きがこちら
「大きな足踏み、これが150回」「そのあと腰を振り振りまわして15回です。これを10回、これも10回、回して首も回す、両方10回ずつね」
96歳とは思えない軽やかなステップ「だいたい15分から17分の体操です、30種類以上の体操を2回行うのが日課です。
10月26日カジマヤー当日
そんな元気な俊雄さんのカジマヤー「おめでとう!」あちらこちらから笑顔と祝福の言葉が飛び交います。
「やったーすてきだね、かわいい」
パレードを終えると地域の人たちへ感謝を伝えたいと、おめでたい席には欠かせない「かじゃでぃ風」を披露していました。
瀬長俊雄さん「こんなにたくさんのお客さんが集まって頂いてまた一つ長生きすると思います」
先の大戦を経験している俊雄さん、10歳のころフィリピンから兄弟だけで祖父母のいる沖縄へ、その後、通信兵として志願し、家族とは離れ離れに。
瀬長俊雄さん 戦時中の話「沖縄は6月には全滅だっていうのが入って、みんな死んだか、フィリピンも全部死んだか自分一人か」
しかし、母と兄弟は無事に戦争を生き抜き、再会を果たすことができました。
そんな妹たちも、お祝いに駆けつけてくれました。
長女「わたしも9さいですよね。下の妹が6歳ぐらいだった、今考えたら子どもだったんだねって思う。親と一緒でもなくて3人だけで返されたのよね」
次女「あの時は日本に行けると、とてもうれしかった。また、お母さんたちも来るかな(フィリピンから)思ったら来ないんですよね。さみしかった」
三女「うんとひもじい思いをした。苦労して引き上げきた、元気でいられるというのが一番幸せです」
つらく苦しい時期も共に支え続けてきたきょうだいたちを前に、この日を迎えました。
次女へのあやかりの盃の様子 「末永く健康でね」「はい」三女「お兄さん、おめでとう。よかったよかった、ありがとうございます。おかげさまであやかりにきた」
そして、舞台では芸達者の孫やひ孫たちが数々の余興を披露。懐かしい「カマド体操」も飛び出していました。
「いつもいつも朗らか カマドさん」おじいさんいつまでもお元気でありがとうございます。
エイサーでは、突然音楽が止まってしまうというハプニング!しかし、動じないのが俊雄さんの孫たち、即興で歌い笑いに変えてました。
初孫「きのうもぜひ、サンシン弾いて欲しいっておじいさんから直々に来てて、ぜったにやりますって覚えていてくれたこともうれしくて」
ひ孫「腰もめっちゃ元気、歯もめっちゃ元気で皆が尊敬するすごいひとです」「私もおじいさんみたいになりたいです」
子ども3人、孫12人、ひ孫24人に囲まれた俊雄さん。これからもちゃーがんじゅうで長生きしてくださいね。
全員「おじいちゃん カジマヤーおめでとう」
今回、県内外からこの日のためにおよそ50人の親族が集まったんです。場所も地域の公民館での開催というところが、また昔の懐かしさを感じますね!俊雄さんは、パレードでも歌サンシン披露して祝賀会でも疲れを見せずに4曲を歌っていたそうです。
最強おじいちゃんですね!
おめでとうございます。あやからせてください!
