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復帰50の物語 第31話 沖縄観光の50年

シリーズでお伝えしている「復帰50の物語」です。今月は沖縄の観光を考える観光月間ということで、沖縄観光が歩んできた道のりとこれから目指す先を見つめます。

沖縄観光コンベンションビューロー 下地会長「海洋博が起点となってそれから航空会社 旅行会社 沖縄の事業者の皆さんが本当に全力で観光客の誘致に取り組んできた」

山城みどりさん「沖縄の自然が観光資源になるということ」「沖縄の歴史と文化も観光資源になるということを知らしめたのが海洋博の大きかったことだと思います」

宮里一郎会長「沖縄県はリゾートという形で海洋博覧会を機に一般の観光客が倍々ゲームで増えだした(んですけれども)」

1975年、本土復帰の記念事業として開催された「沖縄国際海洋博覧会」は、「観光」が産業になるという概念がまだ定着していなかった沖縄に大きな影響を残しました。そして、海洋博を境に産業になる沖縄観光は今や県のリーディング産業として県経済の要となりました。

しかし、これまで歩み、成長を続けてきた沖縄観光。コロナ後の沖縄観光が目指す形とは。これから進む未来を見つめます。

復帰50の物語 第32話 沖縄観光の50年

わずか3カ月の戦闘で20万人あまりが犠牲になった沖縄戦。終戦後、沖縄観光の起点とは。

戦前、沖縄で初めての観光ホテル「沖縄ホテル」、会長の宮里一郎(みやざと・いちろう)さんは当時と今とでは「観光」の形が全く異なっていたと話します。

宮城さん「自分の親やおじいちゃんが沖縄で戦死したとか沖縄にいたとかという方々が、どういったところなのかなぁという風な形で慰霊参拝団というのが非常に多かったのが沖縄の観光の始まりかなと思っております」

戦没者を弔う「慰霊の旅」から始まった沖縄観光。

宮城さん「復帰前の1955年~60年前後はピークでしたね」「ひめゆりの塔とか、あの一帯が激戦地ですからぜひどこで亡くなったのか見たいという方が殆どだったもんですから」

復帰50の物語 第32話 沖縄観光の50年

そんな沖縄が「リゾート地」として捉えられるきっかけとなったのが1975年「沖縄国際海洋博覧会」でした。

那覇市歴史博物館・山城みどりさん「経済が立ち遅れていましたよね県外よりも」「それで海洋博はやはり(経済が)本土並みになるための一大チャンスとして捉えられていたのではないかなと思います」海洋博をテーマにした企画展を担当する那覇市歴史博物館の山城みどりさん。「観光」が産業になると世間では、浸透していなかったこの時期に今の沖縄観光を支える土台が築かれたと話します。

那覇市歴史博物館・山城みどりさん「多額の公共資金が投入されて空港が新しく整備されたり高速道路ができたり 上下水道が整備されたりというインフラの整備ですね、そういうものが行われました」

復帰50の物語 第32話 沖縄観光の50年

一方で、急速な開発に反発する県民も少なくありませんでした。

那覇市歴史博物館・山城みどりさん「大規模工事が(を)県内の企業ではなくて県外の企業が全部請け負ってしまって」「(土地の買い占めで)地価がどんどん高騰して」「急激な開発がやはり自然破壊を引き起こしていたということで」「だんだん海洋博に反対する声が高まっていったりもしていましたね」

様々な思いが県民に交錯する中、開幕した海洋博。結果は、入場者数は目標を大きく下回り、さらに翌年は、観光客数がおよそ半分まで激減。観光客の増加をあてにしていた施設や企業の倒産が相次ぐなど「海洋博不況」が起こり、「海洋博は沖縄経済の起爆剤でなく、自爆剤だった」との声も上がりました。

しかし山城さんは、海洋博が県内外に「沖縄ならではの歴史・文化」を知ってらう大きなきっかけになったと考えています。

那覇市歴史博物館・山城みどりさん「海洋博の中に沖縄館が(あり)、沖縄の歴史と文化はこういう素晴らしいものがあったんだと」「のちの沖縄ブームに繋がっていたのかなと」

沖縄観光コンベンションビューローの下地芳郎会長も、海洋博不況があったからこそ県全体の観光にかける士気が上がったと分析しています。

OCVB・下地芳郎(しもじ・よしろう)会長「(海洋博後)観光客は落ち込みはしましたけれども逆にそこで危機感が上がって官民を挙げて観光振興を図っていこうと」「その大きなきっかけが国際海洋博覧会だったと思います。」

復帰50の物語 第32話 沖縄観光の50年

航空会社や旅行代理店が企画したキャンペーンなどで沖縄の知名度は一気に上昇しその結果、飛躍的に成長を見せ「沖縄」の観光地としてのブランドを確立しました。

2019年には、県が目標としていた念願の1000万人を突破しました。好調に推移してきた沖縄観光産業に突如、襲いかかった「新型コロナ」この2年間で失った観光消費額はおよそ1兆円。県内GDPのおよそ3割をしめる観光産業への打撃は死活問題です。

沖縄ホテル 宮里一郎会長「(コロナが来てこんなに)大変なことになるとはゆめゆめ思わなかったですよ」

沖縄ホテルもコロナ禍で去年4月に休業に追い込まれました。

沖縄ホテル 宮里一郎会長「(宿泊者は)逗留(ロングステイ)するお客さまと修学旅行とスポーツ団体が殆ど多かったんですよ」「だから一番打撃を受けたのはうちみたいなホテルでしょうね」

しかし、常連客からの再開を望む声が多く寄せられ来月から営業再開する予定です。

沖縄ホテル 宮里一郎会長「これからまた1からやり直すんですけれども」「(感染の)様子を見ながらやっていかないといけないですから非常に厳しい戦いが更にこれからは始まるのではないかと思っています」

復帰50の物語 第32話 沖縄観光の50年

先の見えない中、岐路に立つ沖縄観光の未来像を描くために求められているものとは?

沖縄観光コンベンションビューロー 下地会長「これまでも沖縄は9.11だとかSARSだとか新型インフルエンザ、いろんな観光にとっての危機を経験してそれを乗り越えて、ある意味強くなって来たと思いますけども」「様々なリスク要因というのが(これからも)沖縄観光を待ち構えている そういう風に意識をしないといけない」

また下地会長は、観光客の数に捉われない「質の高い観光」がこれから求められると話します。

沖縄観光コンベンションビューロー 下地会長「質の高い観光、沖縄にとって観光をやってよかったなという風に観光客も県民も業界も喜べるような観光をどう作っていくのかが問われているという風に思っている」

沖縄観光を長年けん引してきた宮里さんは、県外・海外の企業が沖縄観光をリードする現状に強い危機感を抱いています。

沖縄ホテル 宮里一郎会長「観光立県だったら観光についてもっと夢のある産業ですよということを(子どもたちに)小さい時から教えていかないといけないなと思っていますけれど、なかなか進んでない後退してますね」「間違いなく(沖縄観光は)回復して活性化していくと思うんですけれども 果たして沖縄県の方々がその産業(観光)についていけるかどうかが非常に疑問ですね」

復帰50の物語 第32話 沖縄観光の50年

未来の沖縄観光は県民ひとりひとりがつくる、県民のための観光でなければならない。復帰から50年。沖縄の観光は大きな転換期にさしかかっています。