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動かぬ基地です。日米政府が進める辺野古の新基地計画と並行して、いま東村高江でも、新しいヘリパッドの工事が進められています。

座り込みで工事に反対してきた住民たちの運動も、開始から7年が経った今、高江では大きな転機を迎えていました。大矢記者です。

大矢記者「住民たちが24時間、不眠不休で座り込みの反対運動を行っているテントも確認できますが、その気持ちを無視するかたちで、工事が強行的に進められています。」

今月1日に、再開された高江のヘリパッド工事。このN4地区は、今月中にも完成し、来月にはアメリカ軍への提供が始まるとみられます。国が計画する6つの新しい着陸帯は、集落を取り囲むように作られ、年間2500回を超えるオスプレイの訓練も見込まれています。

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高江の人々の思い大宜味村から毎週通う儀保さん「どう反対しても無駄だよ、みたいな(国の)雰囲気を感じる。」

高江に暮らす石原さん「北部訓練場の過半返還が基地負担の軽減って言っていますけど、過半返還がされないまま、新しくヘリパッドができて、それが運用されていったら、それは増えているってことじゃないですか、基地の負担がね。」

豊かな自然の中で、穏やかに暮らしたい。そんな当たり前の思いから始まった座り込みも、開始から7年が経ちました。テントには、毎日のように県内外から応援が駆け付けます。

東京から来た女性「これ(高江)は自分のことだ、自分達の国で起きていることだと。」「沖縄の問題っていいますけど、沖縄の問題じゃないんですよね。29本土の問題かなってすごく思うので。33そういうことを私たちは気づかされないというか、自分も知らなかったんですけど、そこがすごく問題の根源にあるんじゃないかって思っているんですね。」

これほど多くの人の関心を集めたのは、ある裁判でした。

4年前、高江に暮らす、伊佐真次さんら15人の住民たちが、座り込みで工事を妨害したとして、国に訴えられたのです。その中には、7歳の子供まで含まれていました。

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伊佐さん「本当に、何の活動家でもない、自然保護団体でもない。そういう人たちが、住民が動くということが、国側にとっては脅威だったんじゃないかと思うんですよね。だからこそこうやって司法で圧力をかけて、この運動を解散させたかった狙いがあると思うんですね。」

大きな力をもつ国が、国民を訴える「スラップ訴訟」

先月、最高裁判所は、伊佐さんの主張を棄却。通行妨害禁止を命じた判決が確定しました。抵抗する住民を、国が司法の力を使ってねじ伏せることが、現実に行われたのです。

伊佐さん「政府側は妨害(したら)逮捕するぞというニュアンスでやっていますよね。 7月からの(ヘリパッド)工事再開と辺野古のことを考えて今の時期にダメージを与えたいのかなと。」

そんな懸念の中、高江では先月、座り込み7年の報告会が開かれました。

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池宮城弁護士「本来なら、(裁判が)決着着いたら弁護団は解散ですが、高江の戦いは終わっていません。こういう権力の横暴も突破し、本当の人民の正義が実現できるということは、歴史上我々は学んできています。沖縄の歴史、戦後の歴史、学んできていますから。自信をもって戦いましょう。」

裁判で浮き彫りになったこの国のやり方に、黙ってはいられないと、県内各地から集まった人たちが高江への思いを語りました。そして、歌手の古謝美佐子さんもゲスト出演。

幼い頃、父親をアメリカ兵の車に跳ねられて亡くした古謝さんは、子どもや孫のために、これ以上基地はいらないと、思いを唄に込めました。

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辺野古から参加した女性「おばあは、私も戦争の生き残りです。だから後世に残すのって何ねって。いま正念場なのに、ぼんやりしておられないさ。」「掴まえるなら、捕まえなさい。みんな一緒にね。みんなが(刑務所)行ってからさ、ごはんも3食、食べて、あっちで大入り満員して身動きできないほど行ったらね、いいんじゃないかねと思う。そのくらいしないとね、勝ち目がない。こっちもね、どういう風にしたら、政府のばかやろうたちをね、ねじ伏せるかと考えているから。簡単に引き下がったらダメだよ。」

大宜味からきた女性「海も山も森もきれいなままで、子どもたちにそういう沖縄を残していきたいと思っています。」

7年前、人口わずか150人の高江から始まった座り込み。今月中にも、さらにもうひとつのヘリパッドの工事が始まろうとする中、人々のつながりは、高江から全国へ広がりを見せています。

伊佐さん「安倍内閣の暴走にみんな危機感をもっていると思うんですね、その中で最前線になっているのが辺野古と高江。多くのみなさんに結集してもらうしかない、なんとしても(人)数を集めて。」

7年という長い抵抗の歴史の中で決して小さくならない反対の声は、「自分達のこれまでの生活を守りたい」そんな当たり前で、素朴な思いが原点になっています。なぜ、それが脅かされるのか、高江の住民の視点で見ると見えてくるものが多くあります。