アメリカ軍の本島上陸から1ヶ月半が経過。本島北部では食糧不足が人々の命を奪っていました。 65年前のきょう5月17日、アメリカ軍の第6海兵師団は現在の那覇新都心、シュガーローフを占領するため、激しく日…
アメリカ軍は那覇市の首里で猛攻撃を加え、迎え撃つ沖縄守備軍を力で圧倒します。 「愉快です!敵艦に体当たり!」65年前のきょうの新聞には日本兵が乗りこむ神風特攻機を女子挺身隊が整備する写真が掲載され、本…
1968年に沖縄で初めての公選主席に選ばれ、1972年に沖縄の本土復帰を果たした屋良朝苗さん。屋良さんのそばには、常に大城盛三さんの姿がありました。 大城さんは、屋良さんの主席当選の翌12月、屋良主席…
アメリカ軍が首里の司令部に迫る65年前のきょう、那覇市繁多川の防空壕を追い出され、なくなく南部へ移動する住民がいました。 アメリカ軍が上陸する前から、那覇市繁多川にある石田の壕に避難していた松茂良美智…
「オキナワ1945〜島は戦場だった」拡大版です。65年前のきょう、沖縄戦最大の激戦と言われた戦闘が始まります。わずか7日間の間で約5000人以上が死んだとも言われる戦いは那覇で繰り広げられました。地獄…
65年前の今頃、山に避難していた名護市辺野古の住民らはほぼ全員山を下りて、早くも学校も復活していました。 初枝さん「私たちは食べ物もいっぱいあったし別に、苦しいというあれはなかったけど」 沖縄本島でも…
65年前の今日、アメリカ軍が撮影したフィルムには戦場で傷つき、肉親を失った孤児たちの姿が映し出されていました。 5月10日の日付のあるこのフィルムには戦場に置き去りにされ、アメリカ軍が救いだした男の子…
1945年5月。アメリカ軍の上陸からおよそ一か月、このときすでに本島中北部各地にはアメリカ軍による戦争難民収容所が作られていました。 そのうち、石川地区の収容所ではきょう5月7日、子どもたちを集めて初…
沖縄に向けて飛び立つ特攻隊の基地では、65年前のきょうも空には鯉のぼりが泳いでいました。 高々と上げられた鯉のぼりを笑顔で見上げる特攻隊員ら。65年前のきょうの新聞です。しかし、戦況は激しさを増してい…
65年前のきょう、第32軍は総攻撃を開始。しかし、その作戦は1日で失敗に終わります。 5月4日、アメリカ軍の様子を記録した映像には、煙幕をたき大勢が走りぬけるアメリカ軍の姿があります。 この日の早朝、…
5月3日、石垣島では県八重山支庁が空爆をうけ八重山における県の行政は完全に停止しました。 年明けからアメリカ軍の空爆と艦砲射撃にさらされていた石垣島。爆撃は4月からよりいっそう激しさを増していました。…
1938年に開園し、国が隔離政策でハンセン病患者を収容した沖縄愛楽園には、1944年の日本軍の一斉収容で沖縄全域から900人あまりの患者が集められました。 そして、当時の早田園長の指揮のもと、体の不自…