65年前のきょうアメリカ軍は、前の年の10・10空襲以来の大規模の空襲を沖縄本島に加えます。当時の新聞には艦載機20機が本島南部に侵入、飛行場や集落を狙って空襲を加えたとあります。 そして日本軍はこの…
1944年に創設された第32軍、沖縄守備軍。創設から携わった、八原高級参謀によるとその当初の任務は、南西諸島全域に飛行場をつくることでした。 空軍重視の近代戦を想定していた大本営。これに対し、八原らは…
年明けから始まったアメリカ軍の八重山への空襲は、1月19日から昼夜を問わず本格的な爆撃へと突入しました。 日本軍にとって石垣島は、沖縄本島から台湾に連なる生命線であり、分断を避けるため、2つの飛行場を…
65年前のきょうは軍部と内閣が会議を開き、本土決戦に備え沖縄にアメリカ軍が上陸した場合は、徹底的抗戦することが決められた日です。 最高戦争指導会議は、首相と外務大臣、陸海軍各大臣と陸軍、現場トップの参…
65年前のきょう、小磯国昭内閣は沖縄戦を想定し、女性や子どもなどを本島北部に疎開させることを閣議決定します。 陸軍大将・小磯国昭は1944年7月に第41代の首相に任命され、政策・軍事面で行き詰っていた…
1945年1月14日、沖縄県は八重山支庁にマラリア防止策の係を設置しました。 八重山におけるマラリア有病地帯の調査は戦前から行われていて、石垣島や西表島の山岳地帯はマラリアの巣窟だとの調査結果が出てい…
きょうは、県民の戦意高揚に利用され軍神として祀られた与那国出身の日本陸軍兵士の命日です。 大舛松市陸軍大尉は、当時の与那国村出身。歩兵第228連隊の中隊長として南方に赴き、1943年の1月13日、ガダ…
65年前のきょう、米軍の上陸が間近に迫る沖縄の県知事となるよう辞令を受け、死を覚悟して、沖縄行きを決意した男性がいました。 糸満市摩文仁にある「島守の塔」。沖縄戦で亡くなった県職員などおよそ500人の…
沖縄守備軍・第32軍のナンバー2だった長勇参謀長。牛島司令官とともに摩文仁で自決を遂げた長勇は福岡出身。喧嘩っ早い豪傑で知られる軍人でした。 その長参謀長は1月11日、首里で民間人を相手に直々に講演を…
空襲が激しくなり県民が地上戦を意識し始めたころ、食糧の増産も本格化しました。 1945年の年頭、沖縄県は農作物の「総合生産計画」を発表。中でも力を入れたのは、主食だったイモの増産でした。 自然が相手で…
1945年1月、日本軍は「空襲警報発令時の警戒対策」を各地に通達します。 旧玉城村奥武島は1月22日に大規模な空襲に見舞われました。この直前、6日に日本軍から警報時の警戒対策が通達されました。 「道路…
1945年、アメリカ軍はそれまでの台湾侵攻作戦を放棄し1月6日、沖縄侵攻作戦「アイスバーグ作戦」をまとめました。「3月までに南西諸島で拠点をひとつ、あるいはそれ以上占領し、沖縄に軍事基地を確立すること…