うるま市の宮森小学校にアメリカ軍のジェット機が墜落した事故から2026年6月30日で67年です。小学校では、追悼集会と慰霊祭が行われ、児童や関係者らが平和を願い手を合わせました。
1959年6月30日、嘉手納基地を飛び立ったアメリカ軍のジェット機が家屋をなぎ倒しながら宮森小学校に墜落し、児童を含む18人が犠牲になり、200人以上がけがをしました。
事故当時、現場近くで道路整備をしていた伊波宏俊さん(86)宮森小学校で展示されている事故当時の写真や地図を前に「凄惨という一言で言い尽くせるものではない」と当時の状況を振り返ります。
伊波宏俊さん(86)「年配の人がね、あの飛行機、音おかしいよ、落ちるかもしれないなというものだから見たらね、ドカーンですよ」「石川の市場に落ちたと思ったですよ。ものすごい黒煙が200メートルぐらい上がっているからね」「宮森小学校が大変だから行こうとしたら、ものすごい米兵が取り囲んで一切入れない」
ジェット機墜落事故から67年となった6月30日追悼集会が行われ、宮森小学校の全校児童と近隣の城前小学校の5・6年生が参加しました。
校内に建立された慰霊碑には、児童や地域住民などが折った千羽鶴が供えられ、児童たちは、二度とこの悲劇を繰り返さないよう事故の記憶を風化させず語りつぐ決意を新たにしました。
宮森小学校6年松本奏瑛さん「新しく入ってきた1年生にもしっかりと受け継がせて、周りのジェット機事故のことを知らない友達にも、どんどん伝えていけたらいいなと思います」
また、集会後には慰霊祭も行われ、遺族や関係者が平和を願いながら手を合わせました。
当時宮森小学校の児童だった金城清正さん(78)「(友達が)3人亡くなったあっち(慰霊碑)にもあるんだけど」「みんな年取って亡くなった人もいるし、だから同窓会しても黙とうから始まるんですよ。みんな一生懸命元気でやっていけたらいいなと思って」
伊波宏俊さん(86)「小学生や高校生があれだけ630やっていることに対しては大歓迎です」「絶対にね過去の物にしてはいけない」
遺族や当時を知る方々の高齢化が進む中、参列者たちは記憶を風化させずにこれからも伝えていきたいと思いを新たにしていました。
