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特集です私たちの居る沖縄から地球をグルっと回ってちょうど沖縄の反対側に位置する南米ボリビアボリビアのほぼ中心地に寄っていくとそこには「オキナワ移住地」という小さな村があります。戦後、沖縄出身者が移住し、開拓した村です。

地図上で「オキナワ」と表示されるのも驚きですが行政区としても「オキナワ」は登録されていて世界では、ここ沖縄とボリビアのオキナワの2カ所だけなんです。そのボリビアのオキナワから私たちの住む沖縄へウチナーンチュの思いを結ぶ「OKINAWA To 沖縄」プロジェクトが始まりました。

今月13日。沖縄に届いたひとつのコンテナ中に入っているのはボリビアのオキナワ移住地「コロニア・オキナワ」で栽培、加工された大豆20トンです。

沖縄ボリビア協会 伊佐 仁 会長「いやぁ~懐かしいよ。ほんとすごいな。移民していた私たちからすると、思いひとしおです。ボリビアで農業をされている一世の方々の夢でもあったので感激しました。本当にうれしいです」

オキナワと沖縄をつなぐ絆 オキナワ移住地から大豆を初輸出

この大豆は石垣牛などを生産、販売する農業生産法人ゆいまーる牧場が牛のエサとして20トンを輸入したもので移住者の作物が海を渡り、沖縄に里帰りするのは「オキナワ移住地」開拓67年の歴史で初めてのことです。

当時、家族でボリビアへ渡り、ボリビアで生まれた伊佐さんお兄さんや、かつて移住していた方々と作物を温かく迎えていました。

兄 伊佐 安夫さん「(Q.安夫さんが入植した時はおいくつだったんですか?)小学校3年生が終わった頃でした僕らが行った頃はもう(移住地は)一旦落ち着いていた」

オキナワ移住地への入植が始まったのは1954年10年かけておよそ3200人のウチナーンチュが海を渡りました。

沖縄ボリビア協会 伊佐 仁 会長「移民で行くと土地を提供してくれた50ヘクタールの広さを各家庭に条件付きで与えた。(当時)沖縄で生活しても困窮する一方なんで大きな夢を持って行かれたと思います」

しかし事前に聞いていた話と異なり、与えられた土地は密林。川の氾濫や風土病に悩まされ、多くの犠牲者を出しながらも現在の移住地を開拓していきました。

オキナワと沖縄をつなぐ絆 オキナワ移住地から大豆を初輸出

あれから67年。ここがかつて未開拓の原生林であったとは信じられないほどに人の生活が根ずいています。オキナワ移住地の農地面積は沖縄県をしのぐ6万ヘクタールに達していて、ボリビア有数の穀倉地帯です。地平線まで広がる大草原、何百頭の群れの牛がのんびりと草を食べ畑では小麦や米、トウモロコシを生産特に大豆はボリビア政府から「最優秀大豆輸出業者」として表彰されるなど移住地で栽培される最も重要性の高い作物となっています。

ゆいまーる牧場 金城利憲 会長「牛のエサはカロリーを78パーセントタンパクを10パーセントまであげるエサに対して一割(穀物)を入れないとタンパク10パーセントの構成比にならない」

今回の大豆の初輸出は、石垣市の畜産農家、金城さんの強い思いで実現しました。

ゆいまーる牧場 金城利憲 会長「ボリビアは沖縄の人がたくさん行っている同級生たちも行きました。当時は軍雇用の解雇など路頭に迷っていた人たちが移民訓練所を通して海外に行った同級生たちとは涙の別れでした」

「OKINAWA TO 沖縄」二つの土地をつなぎたいという夢は、去年ジャイカ主催 南米日系社会の問題解決へ向けた現地調査に参加したことをきっかけに実現へと向かいました。

ゆいまーる牧場 金城利憲 会長「つながりができたまた沖縄出身の人たちとの交流ができたことで毎日思い出す。本当に地球が小さくなった感じがします」

オキナワと沖縄をつなぐ絆 オキナワ移住地から大豆を初輸出

移住地側の思いも一つです。およそ1万8千キロ離れたボリビアのウチナーンチュと日本のウチナーンチュが勢ぞろいです

ボリビアでまれ育った県系二世でもある農協の組合長 具志堅さん。

コロニア沖縄農牧総合協同組合 具志堅 正 組合長「お父さんが名護出身です」

(Q.沖縄に無事大豆が届きました。今のお気持ちいかがですか?)

コロニア沖縄農牧総合協同組合 具志堅 正 組合長「うれしいです。これまでずっと生産物を輸出したいと思っていました。日本のマーケットは質を求められるのでこれまでできなかった67年かかかってようやく輸出できたことは非常にうれしい」

最大のネックだった輸送ルートを模索した島袋さん

ISHIMA社 島袋 正克 代表「なんとか「オキナワ」と「沖縄」をつなげたいという気持ちはずっとあった。ボリビアから輸入してもコストが合わないと思われていたが金城さんが「よしやろう」と言ってくれたのでコンテナが沖縄まで届きました」

オキナワと沖縄をつなぐ絆 オキナワ移住地から大豆を初輸出

「めんそ~れ オキナワヘ」と書かれた看板が迎えてくれるオキナワ移住地。通りには日本語で書かれたお店や「オキナワ」という名前がつく様々な施設があります。計り知れないほどの苦労の中でもこの地は今でも沖縄の伝統文化が色濃く残っています。

オキナワ日本ボリビア協会 比嘉智 事務局長「第一歩を踏み出した。一世から二世、三世に変わって、四世へと時代交代になる農作物だけではなく、いろいろな製品で(沖縄)とつながりができると、とてもうれしい」

ボリビア沖縄県人会 比嘉徹  会長「三世、四世の時代にも沖縄県との繋がり大事にしてウチナーンチュである限りウチナー口も忘れず、沖縄の文化を大事にしてこれを第一歩として長い目で沖縄県とボリビアのつながりができればと思っています。ほんとに今回はれしい限りです」

ウチーンチュが開拓したボリビアの地で育まれた大豆をきっかけにこれからもより一層強い絆が紡がれていきそうです。