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戦前生まれの人口は県民のおよそ1割となり、戦争体験者に直接話を聞くことが、今後ますます難しくなります。こうした中、地元の戦争遺跡を通して、沖縄戦の記憶継承をめざす自治体の取り組みを取材しました。

中城村教育委員会が今年3月に発行した1冊のガイドブック。村内にある77の戦争遺跡や慰霊碑などを紹介しています。

編集メンバーのひとり、稲嶺航さんは、4年間かけて中城村出身の戦争体験者およそ250人の証言を集めました。

中城村教育委員会 稲嶺航さん「今後、高齢者の方の語り部がいなくなったときに、戦争体験を継承していくうえで大切なのが、戦跡。この場所でどんなことがあったんだというふうに、場所や空間をうまく教材化できるようなものを作っていかなければいけないなという思いがありました」

シリーズ非戦の誓い 戦後75年 地域の戦争遺跡から沖縄戦を継ぐ

ガイドブックで紹介された場所の一つが高台にある161.8高地陣地。日本軍が作った見張り台です。

丘の上にある姿は、一見、自然の岩のようにも見えますが、敵に見つからないよう、地元の石工らに岩を積み上げさせ作ったものです。屋根はコンクリートで固められています。

中城村教育委員会 稲嶺航さん「作る前に、日本兵からなるべく自然の岩に見えるように外側の見え方を工夫しなさいという指示をうけたという証言が残っていますね」

中城の丘の斜面には、こうした日本軍の陣地がいくつも構築されました。そして陣地構築には、子どもや女性まで駆り出されたといいます。

海沿いにある津覇集落に暮らす新垣トヨさん。沖縄戦当時は14歳でした。トヨさんは津覇国民学校に通っていたとき、日本軍の陣地構築を手伝いました。

シリーズ非戦の誓い 戦後75年 地域の戦争遺跡から沖縄戦を継ぐ

新垣トヨさん「日本軍が糸蒲山にね、日本軍が壕を作ったから、子どもたちはこんなザルで土運びもやったよ。」

陣地構築のことをよく覚えているトヨさんの証言は大変貴重なものです。しかし、中には意外なこともありました。

14歳で沖縄戦を体験した新垣トヨさん。アメリカ軍が上陸するまでの半年間、意外なことに地元の人たちは、集落の兵舎に駐留していた日本兵らと友だちのように交流していたというのです。

新垣トヨさん「(Q.兵隊さんは優しかったですか?)いつも手伝いありがとうねって、地方の皆さんって、喜びよった。また浜にね、(私が日本兵を)魚買いにも連れていったよ」

こうした証言は、これまであまり聞き取りが行われていませんでした。住民の多くが戦況が厳しくなる前に南部へと避難し、その結果、犠牲になった中城村。そこに注目が集まり地元に残った人たちの戦争体験に光が当てられて来なかったのです。

中城村教育委員会 稲嶺航さん「戦争が始まる前とか戦争が終わったあとに、果たして村内でどういったことが行われていて、なぜ人々が戦争に巻き込まれていったかという過程とか、結果というのが、なかなか今までの証言で見えてこない部分が多かったんですね。中城の戦争全体っていうのがどうだったろうということを記録するということを意識しながら調査しています」

ガイドブックでは、当時のことを生々しく伝える戦争遺跡とともに今は形が残っておらず、痕跡が確認できない場所を「旧跡」として51か所取り上げています。

日本軍が標的を設置し、射撃訓練をしていた干潟。

シリーズ非戦の誓い 戦後75年 地域の戦争遺跡から沖縄戦を継ぐ

そして、トヨさんたちが作った日本軍の陣地もその1つです。

学級担任「実は、これ中城村内であった戦争のことが全部書かれています。きょうは皆さんが住んでいる地域の中城村の勉強をしていきたいと思います」

ガイドブックは、子どもたちの平和学習にも使われています。

男子生徒「ちょっと1ページ、1ページ見るたびにこんなことがあったんだろうなとかちょっと苦しい感じで見てました」

女子生徒「(戦争は)めっちゃ遠いもので自分とはもう本当に全く関係ないって思ってたけど、やっぱり何か関係あるんだなって改めて思ったし。津覇小学校で、自分が学習していた所でこんなことがあったなんて思ってもいなかった」

ガイドブックには、生き残った人々の証言や土地に残る小さな手がかりから沖縄戦を身近に感じてほしいという思いが込められています。

中城村教育委員会 稲嶺航さん「古戦場みたいになってほしくないなというのがある。血が通っている人々が体験した歴史なんだという気持ち、当事者としての意識とか、気持ちの距離をできるだけ長い期間、保っていきたいという思いはある」

沖縄戦でアメリカ軍の捕虜となったトヨさんには、忘れられない言葉があります。あるおばあが捕虜になり自決しようとした日本兵に語り掛けていたという「命どぅ宝」。

シリーズ非戦の誓い 戦後75年 地域の戦争遺跡から沖縄戦を継ぐ

新垣トヨさん「捕虜になってはいるけど、お家に、やーんかいけーれよー(家に帰って)。でーじどー、命どぅ宝どー。こんな言いよった。おばあたちは、お家かえってよー、負け戦しても、戦争負けても、お家に帰るんだよーって。おばあ達はこんなに言いよった。」

沖縄戦から75年。人々や土地が受けた傷や痛みを通してその記憶を継いでいこうという取り組みが行われています。