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平均寿命が長くなり「人生100年時代」と言われるようになりました。長寿のいっぽうで延命治療などに関して様々な不安の声がきかれるようになってきたのも事実です。胃ろうに関するひとつの視点をご覧ください。

生きるために必要なこと。それは食事による栄養補給。食事が摂れなくなれば人間は普通、生きてゆくことができません。

しかし現在は「胃ろう」といって胃に直接、栄養を流し込む処置を施すことが可能になりました。

Qプラスリポート 人生の最期まで寄り添う

沖縄県医師会の在宅医・新屋洋平医師は、在宅診療で胃ろうを造った患者をたくさん受け持っています。沖縄市の敬子さんもそのうちの1人。

98歳の敬子さんは娘の子ども4人の孫育てに奮闘しました。15年前、脳梗塞で倒れてから入退院を繰り返し、3年半前に胃ろうを造りました。今は自宅で同居する娘の康子さんが介護をしています。

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娘・康子さん「ちょっとオーバーかもしれんけどね…守り神。おうちの。ご神体と言ってね、ここにいると安心って感じ。いつも今か今かと葬儀屋に連絡したり、どういう手順をしたらいいのかなとか心配して、やりあったりしたんだけど。だからいつももう、覚悟はできてますね。いつ逝ってもいいみたいな」

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「母よ(松堂康子)」
93歳の母、この人の人生は何であったのだろうか。母は脳梗塞で最初に倒れた時も、その後入退院の繰り返しの時も、いつも「もういいよ」と言った。もういいよ…?何がもういいの?

康子さんが沖縄市で発行している「文化の窓」という文芸誌でエッセイ賞の佳作を取った言葉です。

恐らく延命して皆に苦労かけたくないという意味なのだろう。ベッドの上で「もういいよ。」と母がいうと、「まあだだよ。」とかくれんぼのように私が応ずる。だから、あなたはそこにいるだけでいい。生きているだけでいい。イキていて欲しい。どんな形でも!

母ひとり、子ひとりの康子さんは、1分1秒でも母親が長生きしてくれることを強く望んでいます。

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娘・康子さん「食事やってるときはスムージーにしたり、今日は何あげようかなとかね。胃ろうは簡単、便利だねって」

康子さんは母親を慈しみながら楽しく介護を行っています。ただ、胃ろうで栄養を摂るのが通常になってしまうと、高齢者では徐々に口の機能が衰え、話したりすることができなくなってしまいます。「拘縮(こうしゅく)」といって関節が曲がり、固くなって、動かせなくなる症状も起こってきます。

娘・康子さん「本人は不本意かもしれないけどね、こんなにまでして生きたくないと思うかもしれんけど。家族にしてみたら、どんなにしてでも生きて欲しいと思うときは胃ろう(は良い)」

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娘・康子さん「おむつ替えるときもウンチ取ってあげたら“ありがとう“とか、言ったりしよったから(笑)うんこの数だけありがとうって。冗談言い合ったりしたけど。もうこの3年位は(話が出できてない)。応答はしないけど、感じ取ってるかもしれないなって。孫が13人。いつも週末は集まってここで。ひ孫たちも来たら、皆ここでお婆ちゃんみて」

康子さんは母親に寄り添い、医療はその介護の日々を支えます。

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ただ「延命だけ」のための胃ろうなのであれば、多くの人が受けたくないと考えているようです。しかし、ある調査によれば沖縄県では胃ろうの造設件数は実は全国一。その他の延命治療も他県に比べて明らかに多いのが現状。

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新屋先生「沖縄県は日本で一番胃ろうの造設件数が多くなっています。ただ胃ろうというのはあくまでも手段。お口からご飯を食べられない方が胃に直接栄養を入れるっていう手段なので、それだけでいいとか悪いっていうことを判断することは本来できないはずなんです。なので胃ろうだけがいい悪いっていう問題ではなくて、胃ろうを含めた医療環境であるとか、そういった介護の問題とか、色々なことが『胃ろうが多い』っていうことに表れているんだろうと思っています」

胃ろうをはじめとする延命治療。それは単に「命を延ばす」という事ではなく「延びた命の期間にどれくらいの意味を見出せるのか」がとても大事。そして、延びた命の先にある死を思って家族や親しい人々と話し合い、コミュニケーションをして、自分自身の人生のシナリオを考え、作っておく。自分がどうしたいか、どのように生きたいのか。それこそが日々を豊かに過ごすための支えとなるのです。

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