Qプラスリポートです。世界のウチナーンチュ大会の賑わいのかげで静かに対面を果たした人たちがいました。ブラジルから里帰りした学徒の家族とその親友です。89歳になった同級生は、異国に暮らす家族に何を伝えたかったのでしょうか。

沖縄戦で亡くなった少年の遺影が戦後71年たって見つかりました。少年の親友だった男性。遺影の発見は、遠くブラジルに渡っていた家族との対面がきっかけでした。

新川幸子さん「新川幸子です。」

Q+リポート 里帰りした学徒の遺影と移民に出た家族

山田義邦さん「探すのに苦労したよ。ブラジルの住所探すのに。」

山田義邦さん。新川さん一家をずっと探していました。待っていた家族は今回、世界のウチナーンチュ大会に合わせ総勢8人でやって来たのです。

山田義邦さん「浩造は僕の一番の友だち。2人、いつもくっついて寝ていたよ。」

山田さんと亡くなった浩造(こうぞう)さんは中学の同級生でした。2人は沖縄戦で悲しい別れを経験していました。首里高校の前身、県立第一中学校の生徒たちは鉄血勤皇隊として戦場の最前線に送られました。そこで浩造さんは壮絶な死を遂げたのです。

山田義邦さん「兵隊の格好してやるぞという気持ちだったと思う。惨めな闘いになるとは誰も思っていない。」

糸満市摩文仁にある自然壕。山田さんは、新川さん一家を浩造さんが亡くなった場所に連れていきました。砲弾の雨が降る中、負傷して両目が見えなくなった浩造さんと山田さんはここに隠れていました。

しかしすぐ傍には敵の姿が。そして、その日が来たのです。鉄血勤皇隊に最後の「斬り込み」命令が出されました。山田さんは、目の不自由な浩造さんを置いて、自分も死ぬ覚悟で壕を出ました。

背後には、浩造さんの叫び声が。壕はそのあと、火に包まれたと言います。

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山田義邦さん「浩造は目がやられて見えないんだよ。だから火の中で、壁づたいに山田、山田って大きな声で言っている。あれで亡くなったと思う。」

山田さんは戦後、西原町の家族を捜しました。しかし新川家は移民としてブラジルに渡っていました。貧乏と苦労の連続だったという浩造さんの母・ツルさん。二度と沖縄の地を踏むことはありませんでした。

山田義邦さん「僕はほっとしているよ。誰も、俺が死んだらお参りできなくなったら、誰もお参りできる人はいないんじゃないかと心配していたけど。身内の方みんないらっしゃって、こんな嬉しいことは無いよな。浩造、安らかに眠ってください。」

実は幸子さんはブラジルで生まれた2世で沖縄に来るのは初めて。浩造さんは夫の兄にあたります。一度も会ったことが無い兄の最期を聞いた幸子さんは家族を代表して祈りを捧げました。

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新川幸子さん「私は新川のツルおばあの(3男)浩良の妻の幸子です。兄さんの元にお参りすることができて本当にありがとうございます。」

新川幸子さん「おばあがいつも話はしていた。学校でもいつも優等生だったと。いつも元気よく、学校から帰る時も、「ただいま帰ってきました」と。その言葉だけが思い出に残って何とも言えないと。」

浩造さんの姪「私は彼がここにいると感じる。彼が私たちをここに連れて来たのです。」

浩造さんの姪「色々なことに触れ、祖父母やおじのことを知りました。私たちは家族について学んでいるのです。」

ブラジルから届いた遺影は母校の跡にある、一中学徒の資料室に同級生たちと一緒に飾られました。同級生の最期を家族に伝えたい、これからも供養してもらいたい。そう思い続けてきた山田さんにとってほっとした瞬間でした。

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山田義邦さん「こんな嬉しいことないね。誰も来てくれないと思ったね。胸が詰まってね。浩造も喜んでいるよ。」

異国に暮らす家族が、初めて向き合った沖縄戦。そして結ばれた絆。沖縄が経た戦争と移民という過酷な歴史が浮かび上がってきました。