対馬丸犠牲者の慰霊碑建立目指す村長が来館

沖縄戦の歴史はまだその多くが知られておらず、貴重な資料ですがこのほどある資料ができました。9月に発行された名護市史「やんばるの沖縄戦」には北部地域の山の中での戦闘や終戦後の収容所の暮らしなどが記録されています。

こちらは1945年6月末わずか3日間で2万人以上が集められたという大浦先収容所の様子です。今帰仁村、本部町、伊江村の人たちを地区別にわけて収容していることがわかります。

また辺野古崎の先にあるアメリカ軍のキャンプ内に食糧倉庫や病院、さらにアメリカの諜報部隊CICが置かれていたことも人々の証言から明らかになっています。

今回の資料にはほとんどの地域の人が10月末には里帰りを始めていたのに伊江村の人々は帰ることを許されず、名護市久志に移されていることも紹介されています。

編纂に携わった名護市教育委員会の川満彰さんは「伊江村の人たちは伊江島で飛行場を建設中ということもあり、帰ることが許されなかったんですね、それで米軍は久志区の山手に伊江村をここに造りなさいと言うことを指定します」と話していました。

またこんな記録も。浜辺に置かれているのは仮設トイレです。

川満彰さんは「米軍からドラム缶を支給してもらってドラム缶をすなべに並べて男女共同トイレを作っているんですよ。伊江島に聞き取りに行った時、あるおばあちゃんに恥ずかしくなかったねといったら、このおばあちゃんはムッとして僕を半分怒るようにして『生きていればいいさ』と言ったんですよ。あの生きていればいいさというのがやっぱりすごい力です」と話しました。

この本は名護市教育委員会の史誌編さん係が11年かけて400人の証言を集めてまとめたものです。

担当者の方はこの中の証言からどんな苦しい状況でも精一杯生きのびいまの沖縄を支えている人たち姿を知ってほしいと話していました。