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仲地譲さん「私が漁師になろうと思ったのは、父の背中を見て育ち、父のようなうみんちゅになりたいという小さい頃からの思いがあったからです。」

先月、宜野座、金武、うるま市の漁業者およそ150人が結集した基地建設に反対する漁民大会。この席で青年を代表して挨拶したのが宜野座漁協の仲地譲さんです。譲さんが漁師になったのはお父さんの影響でした。

仲地譲さん「親父の背中を見ていたんで。やってみてわかるんですけど、これだけでよく家族を支えてきたなと思いますね。その日の稼ぎも自分がやった分じゃないですか。だから、それ考えたら、勤めている人よりも結構厳しいのかなと思いますね。」

仲地道夫さん「親父の背中見たって、まさかと思いました。あの言葉聞いて、少なからず嬉しかったです。」

2人で漁に出るようになって7年。しかし穏やかな生活は脅かされています。こちらが予定地周辺の図。V字型の滑走路を造るため埋め立てられようとしているのがこちらの水域。仲地さんたち宜野座や金武、うるまの漁師たちの魚場のすぐそばなのです。

先月22日、政府が県に提出した辺野古沿岸部の埋め立て申請。手続きを進めるための条件とされていたのがこの水域の漁業権を持つ名護漁協の同意でした。

名護漁協は補償交渉の見通しがついたとして政府に同意書を提出しましたが、その一方で、予定地のすぐそばで漁をする周辺の漁業者には埋め立てによって海にどんな影響が出るのか、また補償についても、十分な説明はないというのです。

許田正則さん「名護だけで7号のこと考えないで、同意したとか、情報があるもんだから、それはおかしいんじゃないかと。基地を造るのはこっち。これから大潮になると、潮がこっちに入り、サンゴ礁の中を通って7号に入って来ると。」

実は、この辺りの漁師たちはずっと広大なアメリカ軍基地の存在に苦しめられてきました。漁場の多くがアメリカ軍の演習区域にとられていて、操業が制限されているほか水陸両用車でサンゴが破壊されたり、演習の際に流れ出した赤土が海を汚したりと被害が絶えなかったのです。

城間盛春さん「今までの被害が大分酷い。水陸両用車でサンゴ礁を破壊したり、昭和50年代だけど、赤土流出で物すごい汚染があった。」

またこんな事態も起きています。

「コンコンコン」(船のはしごを叩く音)これは緊急時などに海に潜っている漁師を呼ぶ合図。オスプレイの騒音は海中にも響き渡り、こういった音もかき消してしまうと言います。

許田正則さん「今ブルービーチにオスプレイが降りるんですよ。魚の反応がね、前のヘリよりはずっとひどい。オスプレイが出たら魚がビビるんですよ。」

一口に反対と言っても漁業者の考えも様々です。減り続ける漁獲量に高齢化。漁業者を取り巻く環境が苦しくなる中、補償金がもらえるなら基地建設に賛成しても良いと考える漁師もいます。

また本当は反対したいけれど、政府の方針には従わざるをえないだろうと諦めの境地になっている人もいるのです。

許田正則さん「沖縄、日本を守るためには、普天間を守るためだったら辺野古でも良いんじゃないかなという判断はあります。僕は造っても良いと思っている。政府が決めたことだから。」

若津武徳さん「造るものは造るで、確実に全県民を納得させるような。漁師だけでなく、全県民も納得させて。目の前に大金チラつかせたら心揺らぐでしょう。」

仲地道夫さん「(Q.補償金の交渉が始まった場合、話し合いのテーブルに就く用意はありますか?)私は無いです。私個人としては無いですよ。要するに交渉をするということは認める前提で交渉にのると思いますので、私は交渉するつもりはありません。」

仲地譲さん「これ以上汚さないでくれ。これ以上悪くしないでということは訴えたいですね。」

政府は辺野古への基地建設に向け急ピッチで手続きを進めています。しかし渦中で漁師たちの思いも、置き去りになっています。