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65年前のきょう、石川収容所内に設けられていた学校は人口の増加に伴い、3つの学校に分かれます。

行政機構、沖縄諮詢会がおかれ政治の中心となっていた石川市。石川市では各地区との連絡や会議が行われ、沖縄本島各地から人々が集中していきます。

戦前、2千人余りだった人口は10月には2万人、さらに翌年1月には3万人に膨れ上がりました。

戦時中いち早く開校した石川学園も児童数は4500人を超え、65年前のきょう3校に分校することになりました。

第1学園を城前初等学校、第2学園を宮森初等学校、そして第3学園は石川高等学校。校舎も青空教室からテント校舎、馬小屋を利用した校舎、アメリカ軍の兵舎を使ったコンセット校舎へと移り変わり、徐々に整備されていきます。

放出された軍服を仕立て直したあらたな制服も生まれるなど、学校には戦後”ゼロ”からの時代を生きるバイタリティーがあふれていました。