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Qリポートです。今から31年前の明日7月20日に、沖縄ではかつてない規模の大イベントが幕を開けました。世界36カ国が参加した国際イベントといえばもうお分かりですね、沖縄海洋博です。

実は、当時撮影された公式記録映画が、31年目の今年、復刻版で世に出ることになりました。最近、東京オリンピックや大阪万博などの公式記録映画がDVDで発売され、ちょっとしたブームになっているそうなんです。で、この海洋博の映画、当時の公開期間も短く、テレビ放映もされなかったので幻の映画といわれていたんです。日本映画界の1流スタッフが手がけたというその映画はどんなものだったんでしょうか?

三木赳夫首相「海、その望ましい未来をテーマにした海洋博覧会が・・・・・・」皇太子殿下(当時)「豊かな包容力で人類に力を与えていた海は、その力を保ちえなくなってきました」

世界で始めての「海」をテーマにした国際博覧会。サンゴ礁の海そのものも会場の一部にして6ヶ月で350万人を動員。海の邦沖縄を印象付けました

巨大な人工の浮島「アクアポリス」人類の未来の居住スペースとしてごみや汚水も内部で処理できる設備と、庭には魚の牧場を併せ持つというユニークな発想でした。しかし183日という期間中には台風で大揺れになることも。自然の威力を前に、科学技術の発達が小さく見えるシーンも映画には盛り込まれています。

アメリカ館女性「こっちにおいで。説明しますからね。怖くないんでね。これはデルタティーというものです。未来の発電気工場ですね」

「マンガン団塊とは、海底が人類に提供できる海底資源です。これはマンガン団塊と呼ばれていますが、多くの鉄分、ニッケル、コバルトも含まれています・・・」

主題歌の森山良子さんをはじめ監督は女優高峰秀子の夫でもある松山善三音楽は木下忠司(タダシ)など、当時の日本映画界トップクラスの布陣で望んだこの映画。イベント会場を映し出すだけでは飽き足らず、海洋博を飛び出して海と生きる人々の姿を追っています。

与那国。

「あ、あの一本釣り一家よ!海洋博にきたんだ!」ここから先は、この与那国の漁師の一家とともに会場を回る形になります。名前こそ出てきませんが、唯一の主人公ともいえるこの親子は今も与那国で生活しているのでしょうか。

荒れる海で、平然とサバニに乗っていた小さな兄弟は、やはり海人になったのでしょうか。私たちは与那国町久部良の公民館で上映会を開いてこの漁師さんを探しました。31年前の映像を食い入るように見る久部良の人たち。

そして、この漁師さんは松川信夫さんであることがわかりました。

今は68歳になる松川さん。今も現役の漁師です。久部良で一番の記録である500キロのカジキを一人で上げたこともある、カジキマグロ専門の漁師です。

かわいい兄弟の名前は、健二君と敏郎君。ふたりは今名古屋で働いています。「敏郎は豊田。健二は電気技師・・」さびしくないですか?漁師継がなくて「しょうがない。仕事ないし呼ぶこともできない。」「漁師継ぐというより、漁師じゃ食えませんわ」

松川さんは久部良の漁協の組合長も勤め、えびの養殖に取り組んだり漁業の活性化を目指しますが、猟師町・久部良も後継者不足は深刻です。

パヤオができて、魚の取れ方も変わり、漁業自体が逼迫していると松川さんは考えています。海洋博覧会のテーマであった「海・その望ましい未来」を30年後の私たちは実現できたのでしょうか。

奥さん「いるかのショー!あれからね、私いるか食べきれなくなってさ」

海洋博ってなんだったと思いますか?

松川「そりゃ見た目にはすばらしいものだったけどそれよりはその裏のほうが問題だったと思うよ。それができる段階と実際にオープンしてから何があったか。何もないという空白な状態だったから」

復帰直後、沖縄経済の起爆剤と期待された海洋博は、自然破壊や海洋博ショックという混乱を巻き起こしたという反省も指摘されています。しかし、心躍る一大エンターテイメントであったことや、人間と海との共生というテーマに真正面から取り組むなど、今見ても色あせない内容だったことを、記録映画によって再確認できるのではないでしょうか。

この沖縄海洋博の記録映画はあさって全国発売されるんですが最新技術でオリジナルネガからニュープリントを起こしているので映像もかなりきれいですよね。

私はまだ2歳だったからあんまり覚えていないんですが、大人になって改めて、どういう内容だったのかちゃんと知りたいなという気持ちになりました。こういう形で残っているというのは嬉しいですね。