戦後80年の今年、番組では「しまくとぅばで語る戦世」をお伝えしています。今週から「与那国」をテーマにお送りしていますが、実は、この映像は20年前に撮影されて以来これまで公開されていなかったものです。
記録された「島の声」に光をあてようとひとりの若者が翻訳に取り組んでいます。言葉と向き合うその思いを取材しました。
写真家・比嘉豊光さんら「琉球弧を記録する会」が1997年から映像に収めてきた「しまくとぅばで語る戦世」沖縄本島北部から宮古・石垣、小さな離島まで1000人以上の戦争体験を収録してきました。共通語訳の字幕を入れて定期的に開催される上映会は、人々が沖縄戦の記憶に触れ、考える機会になっています。

数多くの証言の中で、長年ひっそりと眠っていた映像がありました。
それが与那国島の記録です。およそ20年前に撮影されたもので、島の人たちの手によって少しずつ翻訳されていましたが、完全に翻訳されることなくそのままになっていました。
戦後80年の今年、埋もれてしまった記録に光をあてようと再び翻訳作業を始めた若者がいます、与那国出身の東盛あいかさんです。

俳優や映画監督として活動する東盛あいかさん。大人になって与那国の言葉「どぅなんむぬい」に興味を持ち、ゼロから学んで習得した「ニュースピーカー」と呼ばれる世代で、SNSを通して言葉の面白さを発信しています。
いくつもの辞書を引き、時には本島に住む叔父の力を借りながら言葉と向き合いました。

6月、東盛さんの姿は与那国島にありました。
この映像を5年前に知った田原伊明さん。耳で聞いた内容を与那国の言葉で書き起こしていました。

与那国民族資料館 島の暮らしや文化を伝える資料館の館長・池間龍一さんは20年前、カメラの前で語っていた池間苗さんの長男です。
現在100歳を超え、今は話すことができない苗さんの代わりにと昔、母が語っていた記憶を必死に思い起こして翻訳作業に付き合ってくれました。

80年前、戦を生き抜いた家族の話に耳を傾けると誰にも同じ思いをさせたくないという強い思いが伝わってきます。
一人ひとりの手から手へつながれてきた与那国の戦の記憶、時を越えて、今を生きる私たちに語りかけています。
与那国の言葉を話せる人は、現在300人ほどだと言われています。戦争を語れる人も、与那国の言葉を伝えられる人も年々少なくなるなか、東盛さんのような若い世代が言葉と向き合い、声をすくい上げようとしている姿を島の人たちも心強く感じていると思います。