シリーズでお伝えしている「復興のキセキ」です。今月31日で、首里城火災から6年です。その節目を前に今回は、平成・令和と続く首里城復元の復元に力を尽くしてきた歴史家とともに振り返ります。
素屋根が取り外され、鮮やかな赤が輝きを放つ首里城正殿。建物内部の塗装作業も着々と進み、完成まで、残すところ1年となりました。
首里城復元に携わる 高良倉吉さん「いいじゃないですか 壁と柱の塗装ね」
満足げな表情を浮かべるのは、琉球史研究の第一人者・高良倉吉さん。平成・令和と二度、復元に携わってきた歴史家です。
県民の4人に1人が犠牲となった沖縄戦。その地下に日本軍の司令部壕が置かれた首里城もアメリカ軍の激しい砲爆撃を受けて破壊されました。
「首里城の復元なくしては沖縄の戦後は終わらない」
県民の強い思いを背景に、本土復帰20年の節目に向けてスタートしたのが「平成の首里城復元プロジェクト」です。ただしそこには、大きな壁が立ちふさがっていました。

高良倉吉さん「さあ、復元しようとなってくると首里城の欠片も残っていない。しかも首里城に関する記録もことごとく失われていた」
琉球王国の終焉とともに、資料や技術の継承は途絶え、辛うじて残されていた記録も沖縄戦下で焼失していました。
高良倉吉さん「記録も失われ、人も技術も失われていた。その大きな断絶をどう乗り越えられるかが平成の復元の最大のテーマだった」
歴史の空白を埋めるため、高良さんに託された使命は「復元の根拠となる資料を探し出すこと」国内外を飛び回るも、空回りに終わる日々が続いたといいます。そんな中、ある史料が見つかります。

1768年、王国時代の正殿の修理の様子を記録した「寸法記(すんぽうき)」です。そこには当時の間取り、彩色などが事細かに記されていました。
高良倉吉さん「ぐっと王国時代が近づいた。正殿ってこんな形しているのかと内部はこんなになってたのかと。それを見た時にこれで王国時代の現役の首里城正殿が復元可能だと。あの時はうれしかった」
1989年11月。琉球王国の美を取り戻す、復元工事が始まります。
高良倉吉さん「首里城の復元って本当に様々な分野の人間たちがまさに英知を持ち寄って共同作業する世界。実際につくるのは大工や技術者。本当に多くの人間の得意とするところを持ち寄らないと、首里城はよみがえらない。それが首里城でできた。そのメンバーが自分だったのは誇り」
1992年。首里城がおよそ半世紀ぶりに県民の元に帰ってきました。その後も、公園の整備は続けられ、2019年2月。およそ30年に及んだ工事が完結しました。しかしその年の秋…。

高良倉吉さん「どうしてこんなふうになっちゃったんだろう。みんなで力を合わせてやっとよみがえったはずのものが。なかなかその現実を受け入れることができなかった」
大火で奪われた首里城。ただ、高良さんはあることに気付かされたといいます。
高良倉吉さん「テレビの実況中継や新聞のインタビューに答えた県民の声などに接して初めてそうか、みんなにとって首里城はとても大事なものだったんだと。こんなに多くの人々の心に届いていたと再発見した。首里城が火災で失われたことは大変残念だが失われたことによって首里城の存在が県民のものになっていたと 感じることができた」
「首里城を再び取り戻す」現場に戻ってきた高良さん。”新たな知見”を加え、より王国時代に近い姿へバージョンアップを図ってきました。
そして…2022年11月には、令和の正殿の再建工事が始まります。今回は”見せる復興”をテーマに、復元の過程を来園者に公開。多くの人が見守る中、正殿は形づくられていきました。
高良倉吉さん「平成の復元。令和の復元もそうだけども王国時代の首里城にできるだけ近い形に戻す。何のためにそういうことをするのかといえば、将来のためです。将来の人たちのために首里城という形を伝えたいこの島にはお城があって、この城を持つような歴史があったということを難しく考えないでいい。見ただけで、見学しただけで分かる。そういう状況を作ることが大事」

目指すのは「形の復元」だけではなく「魂の継承」です。
高良倉吉さん「一番心強いのは瓦から木材の加工から塗装からいろんな分野で若い人が本当にたくさん参加してくれて。技術を覚えながらあるいは発揮しながら、しかも使命感を燃やしてあの姿を見たときにはもう感動した。首里城というのはそういう人たちによってよみがえるんだと」
高良さんは、次の世代に首里城をつなぐことで、琉球・沖縄の歴史文化はこれからも首里城とともに生き続けると話します。
高良倉吉さん「沖縄という島の歴史や文化、伝統というものをこれからずっと後々まで伝えていくためにそれぞれがその時代に努力する。二度と首里城が失われることのないような時代を作ってほしい」
火災で焼失した平成の復元は「断絶を埋める復元」そして今回の令和の再建は、「未来へつなぐ復元」首里城という建物が、次の世代へ文化や思いをつなぐ”バトン”なんですね。
また、きょうの特集でも使用しましたが、今回の取材で、平成の復元を記録した映像が数多く、沖縄美ら島財団に残されていることが分かりました。工期が短く、安全管理上の問題から令和の復元のように工事の様子は公開されていなかったため大変貴重な資料です。QABでは今後、これらの映像を使った放送をお送りします。