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沖縄のかんざし、ジーファー。かつては、沖縄の女性たちが、日々の暮らしの中で、髪に挿し続けてきましたが、今ではほとんど見られなくなりました。

なぜ、ジーファーは消えていったのか。その理由を探ろうと、10年間コツコツ調べていたら、ジーファー職人も知らない事実まで掘り起こし、ついには本まで出版してしまった人がいます。ジーファーから広がる、沖縄の歴史や人々の物語とは…?

ジュンク堂書店那覇店 森本浩平店長「ここは沖縄関連本の新刊・話題書のコーナーになるんですが、かなり今年に入って出版されていますよね」

本土復帰50年の今年、沖縄関連の本が売れています。戦後史などの歴史に焦点をあてた本が好調で、ジュンク堂書店那覇店の週間ランキングでは、3冊がランクイン。

ジーファーの記憶を追い求めて

このうち、想定外の人気を博していたのがこの一冊。沖縄のかんざし・ジーファーを題材にした本です。

ジュンク堂書店那覇店 森本浩平店長「週間ランキングにも入ってきておりまして、なかなかこういう歴史を扱った商材がここまで売れるのも、なかなか貴重かなというところではあるんですが」

「ジーファーの記憶」は、ジーファーと、それを作ってきたクガニゼークとよばれる職人について書かれたものです。

ライター 今村治華さん「緊張するね、やっぱり。喜ぶといいなぁ」

作者の今村治華さんです。この日、「金細工(クガニゼーク)またよし」を訪ねました。出来上がったばかりの本を、7代目又吉健次郎さんに届けます。

琉球王朝時代から代々続く工房といえば、いまはもうここだけ。

ジーファーの記憶を追い求めて

金細工またよし 7代目 又吉健次郎さん「治華さんが客観的に見てくれたから、僕は自分のことがわかるんだよね。そういうことだったのかなと思って、本当に自分って知らないんですよ」

今村さんが本格的にジーファーについて調べるようになったのは、およそ10年前。又吉さんの工房を訪ねたことがきっかけです。

ライター 今村治華さん「ジーファーを見た時に、ものすごくシンプルじゃないですか、研ぎ澄まされたシンプルさを持っている。それはモノとして美しいと思ったんですね。なのに、こんなに、日常で挿さなくなっていくのっていう。こんなきれいなものが使われなくなるのは何でだろう」

沖縄の女たちが結い上げた髷に挿す、細長い匙のような簡素なかんざし。その佇まいは、女の立ち姿を表しているとも言われています。

工房を訪ねた翌日から、さっそく今村さんは、資料を調べるようなりますが、なかなか欲しい情報にはたどり着けませんでした。

そんな中、県立博物館・美術館に眠る103本のかんざしを見る機会が巡ってきました。

これは、当時のスケッチです。形状だけでなく、1本1本が醸す雰囲気まで詳細に書き記されていて、今村さんの興奮が伝わってきます。

ジーファーの記憶を追い求めて

ライター 今村治華さん「この1本1本のうしろに、それぞれ作った職人さんがいて、それを髪にさしていた方がいらして、どんな経緯があったかわからないけれども、今博物館で大事に守られている、そうするとこの1本のジーファーの向こうにものすごい広がりが出てきちゃって、わー1本1本の物語を知りたいって思ったんですよ」

琉球王朝時代、「簪の制」という決め事があり、社会的身分によって、かんざしのデザインと材質が区別されていました。

この制度は、1879年・明治12年の琉球処分まで、およそ370年間にわたり使われ続けたとされています。

沖縄県となったあとも、女性たちは、日々の暮らしの中で、ジーファーを髪に挿し続けました。

これは、明治23年生まれの女性のジーファーです。野の花のような、ほっそりとした形のジーファーは、古い食器棚の奥から姿を現しました。

ジーファーを挿していた女性や作っていた職人の情報を求めて、戦前の新聞を、ひたすら読み進めていった今村さん。時代が移り変わる中で、葛藤する人々の姿を見つけました。

ジーファーの記憶を追い求めて

その一つが、「簪の献納」です。

戦争にむかう時代の中で、武器にする金属を供出するため、簪を国に献納する動きが起こります。

ライター 今村治華さん「簪を献納して服装改善という、ジーファーを差し出す、そしたら結えなくなるから、その機会に洋服も変えていこう。モンペだったりとか、洋装だったりとか。もちろんクガニゼーク、職人たちは食べていけなくなるから困りますし。ジーファーの向こうに職人さんがいらして、使っていた方がいらして、その方たちがどういう選択を、生きていくために、家族を守るためにしていったのかっていうことまで触れていったときに、歩いている地面にすごいこう、体温を感じるようになった」

女性たちが、かんざしを抜いていく中で、職人であるクガニゼークたちは、仕事を失い苦境に立たされていきました。

金細工またよし 7代目 又吉健次郎さん「親父は本当に、何でもやった。時代時代に応じてね、鍵を作って、金庫の鍵を作ったり、色々やってくれたね。山積みでね、あの頃は沖縄には仕事がないでしょ、だから若い人みんな、大和に行くんですよ。そしたら、トランクがいるからね、その修繕はおふくろが全部、手で、こう。破れたところ、革で縫うわけ」

今村さんは、戦前の新聞の中に、又吉さんの父が出した広告を見つけました。クガニゼークとしてではなく、金庫修繕や蓄音機、トランクの修理が謳われています。

金細工またよし 7代目 又吉健次郎さん「親父は、そういうことやる人じゃないと思っていたのに、びっくりしたよ」

膨大な資料をたどる中で、又吉さんも知らない父親の姿が浮かびあがってきました。

ジーファーの記憶を追い求めて

金細工またよし 7代目 又吉健次郎さん「本当に昔のことが蘇ってきてね、それで、そしたらまた、親父のことを考えて、それでまた座り直して、改めて姿勢を正してやるんだよね。にふぇーでーびたん」

ライター 今村治華さん「若いお客様がいらしたときに、ジーファーを知らない方もいらっしゃったんですね、そのぐらい知らない遠い存在になりつつあるんだと。自分たちの先輩方が、どういう思いでジーファーを挿していたり、抜かれたのということを、まず伝えたいなと」

「なぜジーファーは消えたのか」10年にわたって追い求めた中で生まれた今村さんの本。長きにわたり沖縄の女性たちの髪を彩ったジーファーを通して、いくつもの世替わり生きた人々の息遣いが伝わってきます。