沖縄戦から、ことしで81年。今回は、琉球舞踊界で人間国宝に認定された志田房子さんが体験した沖縄戦です。そこには、亡くなった人々への鎮魂と、平和への願いが込められていました。
「浜千鳥」人間国宝 志田房子さんの舞「浜千鳥 浜うてぃちゅいちゅいなー」
伸びやかでありながら、凛とした存在感。しなやかな手さばきには長い歳月をかけて磨き上げた芸が宿ります。琉球舞踊立方の人間国宝、志田房子さん89歳。志田さんは、東京を拠点に活動しながら琉球舞踊の魅力を国内外へ発信しています。
志田房子さん「どういう踊りをしているか自分では その時必死ですからこれは私の遺言だと思って一曲一曲見てほしい」
その志を受け継ぐのが娘の志田真木さん。今月14日、国立劇場おきなわで母、房子さんの思いと共に平和への思いを紡ぎたいと公演を開きました。志田さんは、沖縄戦を体験し戦中戦後を生きながらも舞踊の道を歩み続けてきました。
志田房子さん「体験したものとしては忘れたいんです、つらくて。その人たちの顔を浮かべるだけでもつらいんです」
琉球舞踊界で初の人間国宝のひとりとなった「志田房子さん89歳」東京を拠点に活動をする房子さんですが、今月12日、娘の真木さんの公演を前に糸満市の平和祈念堂に花を手向けていました。
志田房子さん「今回はすべてをお守りをしている、ここから皆さんにという思いがあって、きょうはこちらからお参りしたいと思います」
志田真木さん「私どもで何かそういう思いを忘れずにつないでいくということができないかと考えたときに、その6月の慰霊月に」「私どもは踊ることしかできませんので、公演をもって、この思いをつたえられたらということで」「6月月になると、どうしても落ち着かなくて」
那覇で生まれた房子さん。母親の勧めで3歳のころ琉球舞踊を始めました。師匠は、沖縄の団十郎と呼ばれた玉城盛重に入門。厳しい稽古の中、むんじゅるなどの芸を仕込まれました。しかし、7歳のころ沖縄戦が始まります。
房子さんは、容赦なく降り注ぐ砲弾と爆音に怯えながら本島北部に疎開するために数日間歩き続けました。
志田房子さん「母親が舞踊で履く足袋を履かして、それでやんばるに行きついたとき、足がこんなに腫れてここの縫い目を切って」
志田真木さん「むくんで大変だったらしいですね」
ようやくたどり着いた疎開先ではガマの中に家族で「身を隠しました」暗闇の中で聞こえる滴の音は生きていることを確かめるような響きでした。
志田房子さん「ポトンポトンって水滴が落ちる音がしばらく続いたんです。滴が落ちるのをためてそれを口にするっていう生活でしたから」
泣き出した房子さんを母がそっと抱きしめてくれたこともこの滴の音の記憶として残っています。その後、房子さんの家族は生き延びましたが、戦争は師匠、玉城盛重の命を奪いました。
しかし、房子さんは踊ることをあきらめません。戦後、物資の乏しい中、アメリカ軍の払い下げのシーツを母親が衣装に仕立てて、近所の原っぱで踊りました。
志田房子さん「ドラム缶ってありますよね。あれをこう並べてあれの上にベニヤ板を置いてそれが舞台でしたから、私が小さかった頃は、あの拍手で私を育ててくださったのかなって」
志田真木さん「っていう話をきくとね、そんな大事にも身体にもって逃げてもらった大切な芸能なので、絶やすわけにはいかないと思いますよ」
今回の舞台では房子さんが創作した135の作品などから未来へ繋いでいきたいと大切にしている踊りが披露されました。
第一部では、琉球王朝の華やかな文化。そして、第二部では戦前の穏やかな沖縄の原風景から戦争によってすべてを失った島の姿へと移ります。
舞台上のスクリーンでは房子さん自身が戦争体験をもとに作った「鎮魂の詞」が上映(2019年 東京国立劇場で上演された映像)されました。
「どぅでぃん くくるやすらかに うまんちゅの真心うきとぃじゅらさし うたびみしぇびりー うーととー」
水滴の滴る音で始まるこの作品は、沖縄サミットが開催された2000年に沖縄平和祈念堂に初奉納されました。その後も多くの舞台で上演を重ねています。鎮魂と平和の尊さを静かに訴えかけます。
志田房子さん「私は戦争の中を凌いできたものひとりとして、幼いときのことも、踊りも、身体に残ったまま80歳過ぎて自分の心の中に残せました」「何も知らないでこの世を去っていく子どもたちが世界のどこかにいるかと思うと、とても切ないです」
亡き盛重から仕込まれた「浜千鳥」房子さんは、磨き続けてきた舞を披露していました。
志田房子さんの「浜千鳥」「浜うてぃ チュイチュイな」
志田真木さんの「千鳥有情」「あね 浜千鳥 浜うてぃちゅいちゅい」
志田真木さん「載せている節が違っていて、それに歌詞が足されているのですが、世界観は一緒で、時代が違うとこういった角度の作品になるっていうのを見て頂くのも面白いかな」
戦後81年、人間国宝から受け継がれるのは舞だけではありません。平和を願う心、命をいつくしむ心。そして祈りです。
志田真木さん「どれだけの人たちが、この芸能で心に勇気とか希望とかをもらったかって想像すると」「芸能の力っていうのはやっぱり必要であって、平和でないと芸能を共有することができない」
志田房子さん「せめて水無月だけはね、みんなで御霊に手をあわす。心の中でもいいから」「地球上で戦争のない世界にしてほしいっていう願いが、いつか通じて、戦争という字がなくなればいいなって私は思います」
志田房子さんは、花に語り掛けるように、風に耳を澄ますように。生きとし生けるものへの優しいまなざしこそが、争いのない未来へとつながっていくのではと話していました。
あすは、空襲で亡くなった石垣島の女子学徒についてお伝えします。
