特集です。自民党の西田参院議員は憲法改正を求めるシンポジウムの中で、自身の歴史観に対する持論を展開。そのなかで、ひめゆりの塔の展示内容について「歴史の書き換え」などと発言したことについてその後、謝罪、撤回しました。
謝罪は、ひめゆりの塔を講演で持ち出したことにとどまり「事実を言っている」と沖縄戦や教育への認識については訂正や謝罪はしませんでした。問題点は何なのか、改めてお伝えします。
西田参院議員「私の発言したことは訂正・削除させていただきたい。申し訳ございませんでした」

9日、東京で謝罪会見を開いたのは、自民党の西田昌司参議院議員。
今月3日の憲法記念日、那覇市で開かれた改憲派のシンポジウムの中で、ひめゆりの塔について「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった」「そして米国が入ってきて、沖縄が解放されたという文脈で書かれている」「歴史が書き変えられると、こういうことになる」などと発言したと報じられました。
9日の会見を「お詫び」とした西田議員。一方で、発言撤回の対象はひめゆりの塔を取り上げたことのみ。根拠になる展示内容や場所にあいまいさは残したまま、発言の主旨や歴史観は「事実を言っている」と強調しました。
記者「沖縄の場合には、地上戦の解釈含めてかなり無茶苦茶な教育がされていると発言、これについて撤回・謝罪は」
西田議員「しませんね。事実として沖縄の人と話し分かったが、沖縄は昭和47年の5月15日まで、27年にわたって占領されている。その中で米国が統治している。米国に都合がいい教育を当然する。そういう教育を受けた人が大人になっていく。占領中に様々なある種反日教育をされるわけ。日本のほうが悪かったと。そのことを含めた歴史を取り戻すということが、沖縄の方もそうだし、日本人全体もまだまだそれにとらわれている」

2007年県民大会・高校生代表「この記述をなくそうとしている人たちは、私たちのおじいおばあたちが、嘘をついていると、言いたいのでしょうか」
沖縄戦の歴史認識や教育が問われた出来事は、過去にもありました。
その一つが、2007年に発覚した、沖縄戦の「集団自決」をめぐる教科書問題。「集団自決」の日本軍の「強制」に関する記述に文部科学省が検定意見を付け、記述が一斉に消されました。
2007年9月29日の県民大会には、復帰後で最大となる11万人余りが集まり、沖縄戦体験者の証言の否定や歪曲だと訴えたのです。
9・29県民大会決議を実現させる会 仲西春雅会長「西田議員の発言は戦後80年という節目を迎える今なお、沖縄に対する無理解と差別の構造は続いていると私たちに突き付けています」
当時の県民大会の実行委員会メンバーらでつくる「9・29県民大会決議を実現させる会」は、今回の議員の発言についても抗議する意向を示しています。
玉寄哲永さん「この人の発言を許せない。根っこは、教科書から(集団自決での日本軍の)軍命を消し去った姿勢と同じなんです。国の姿勢は歴史を勝手に書き換える方向にもっていって、この人たちの青図を見ているからその方向をたどろうとするけれど、許されませんよ」

一方の西田議員。自身の歴史観を正当化した会見で、このように強調して見せました。
西田議員「私が言っているのは誰が、誰の視点で書いているんですかと」「つまり日本人の視点で書いているのか、米国の視点で書いているのかという話」
議員が強調する沖縄戦を語る際の立ち位置。これまで県民が語り継いできた沖縄戦の歴史は、日本とアメリカ、どちらの国家ものでは決してありません。それは、両国の政治や外交、軍事の思惑に翻弄され、犠牲になった住民の視点の歴史だと、私たちも改めて認識する必要があります。
9日の西田議員の会見では「ひまわりの塔」といい間違う場面もあり、謝罪の姿勢が改めて問われそうです。
一方で、視点をどこに置くかという点は沖縄戦の問題に限らず、私たち報道する立場にも、日々問われています。沖縄に拠点を置く私たちとして、為政者ではなく、住民の目線で、この沖縄で起きていることを取材し、伝えていきたいと改めて考えています。
