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15歳までのこどもたち1000人あまりが犠牲となった学童疎開船「対馬丸」の沈没から8月22日で78年です。那覇市の小桜の塔では、慰霊祭がおこなわれました。

新型コロナの影響で大幅に規模が縮小され、2021年同様、遺族や一般の参列は中止し、対馬丸記念館の関係者のみで犠牲者に手を合わせました。

78年前の8月22日、学童疎開船「対馬丸」は、那覇港から疎開先の九州に向かう途中、鹿児島県の悪石島近くでアメリカ海軍の潜水艦に攻撃され沈没しました。

対馬丸記念会の代表理事で生存者の高良政勝さんは、ロシアのウクライナ侵攻にふれ、「武器で戦うのではなく、”ことば”を戦わすことで、ものごとを解決する道を探ってほしいと対馬丸の子どもたちは願っている」と挨拶しました。

対馬丸記念会高良政勝代表理事は「(ウクライナ侵攻で)多くの戦争に全く関係のない一般の人や子どもたちが犠牲になっています。これはまったく、対馬丸と同じだと思います」「本当に悲しいなと、人間は過去の歴史に学ばないのかという感じでいっぱいです」と話します。

対馬丸の犠牲者は、現時点で名前が判明している1484人のうち15歳までの子どもが1040人で、全体の7割を占めます。