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シリーズでお伝えしている「復帰50の物語」。きょうは復帰前後の沖縄のウイスキーにまつわるエピソードをご紹介します。戦争の焼け野原から復興を遂げ、豊かな生活を求めていく中でウイスキーは日々の生活に潤いをもたらしていました。

アイルランドの言葉で「命の水」という意味を持つウイスキー。大麦やライ麦などを原料とした蒸留酒です。1945年の沖縄戦以後、1972年の本土復帰までアメリカ軍の統治下に置かれた中、輸入ウイスキーの関税は安く求めやすかったことから洋酒ブームが起こりそれに対して沖縄の酒造業界でも県産ウイスキーを製造販売してシェアを競った時代がありました。

琉銀豊見城支店、銀行のロビーに並べられたデザイン瓶。復帰前後に沖縄へ入ってきたウイスキーを中心に往年の銘柄が訪れた人を出迎えます。本土復帰前の瓶は一目瞭然。ラベルに関税を収めた証、琉球政府の刻印が押されています

琉球銀行豊見城支店 渡久地卓支店長「私が昭和47年生まれの復帰っ子ということもありまた私の親世代が非常にウイスキーを好んで飲んでいたこともあり(来店者も見られる)ロビーで開催している」

琉球銀行豊見城支店 花城志保さん「こういう刻印が押されているのは初めて見るので、少し復帰前のことを感じられた」

「酒楽Bar SUN・SHINE」

趣旨に賛同して貴重な資料を提供したのは那覇市でバーを営む伊波興治(いは こうじ)さんです。伊波さんはウイスキーや泡盛などのブレンドや歴史についても研究しています。

酒楽Bar SUN・SHINE 伊波興治さん「昔の歴史をみてもらいたいというのがあって、それで(ボトルを)貸し出したという感じ」「県外(本土の)国産ウイスキーより洋酒の方が沖縄に直で入ってくる あの時にも弱冠手ごろな値段で来たというのもあって沖縄の方は多分県外の方より(ウイスキーを)贅沢に飲んでいると思う」

これは復帰前の泡盛ですが物がない時代、ウイスキーの瓶を再利用してアメリカ人向けに販売しようと英語表記されています。

酒楽Bar SUN・SHINE 伊波興治さん「これは(アルコール)40度という意味。電話番号4ケタ。復帰前は出しているけど復帰後はこの瓶とラベルでは出していないよとお客さんが言っていた」

復帰前の琉球政府時代のスタンプRYUKYU TAXと刻印されたボトルもたくさんあります。そのコレクションの中には、沖縄でブレンドされたりボトル詰めされたとラベルに書かれたウイスキーも数多くそろっています。

酒楽Bar SUN・SHINE 伊波興治さん「樽買いしてここ(沖縄)で瓶詰めして販売したということを私も聞く」

ウイスキーが好んで飲まれた沖縄の市場を前に地元の酒造会社をはじめ本土企業も参入を図ります。瓶で沖縄に輸入すると関税が高いため樽で大量に原酒を輸入しブレンドや瓶詰めをする工場をつくり手ごろな価格で販売しました。現在の沖縄サントリーもその一つ。実は沖縄戦が始まる前から縁がありました。

戦前からウイスキーやワインの製造を手がける中第2次大戦中は海軍の要請で航空燃料を作る工場を全国各地につくっていました。沖縄戦の1フィートフィルムには現在の那覇市安謝に建てられた燃料工場がアメリカ軍機に攻撃される様子が記録されています。

戦後、工場があった同じ場所に、工場で働いていた人も関わって1961年に沖縄サントリーが設立されました。

沖縄サントリー 吉野宏明社長「創業の目的の中に当然サントリーウイスキーを販売するということは目的としてあった訳だが、現地の人たちを採用して雇用を促進させる県産品としてつくることで沖縄の経済に貢献する」

40年前の社史には、戦後の復興から創業に携わった人たちの強い思いが書き残されています。

はじめチーズを石けんと思った男もパウダーシュガーを歯磨き粉と信じた女もすっかりたくましくなり、それを戦果の目玉にあげた。ひたすら頂戴しては肉とし、血としていた。満腹の後は、酒が欲しい。

沖縄サントリー 吉野宏明社長「製造すればするほど在庫する余裕もなく飛ぶように売れたという話を聞いている」

1972年の本土復帰から日本の税制が適用され価格での優位性はなくなりましたが時代は、品質のより高いウイスキーを提供する上級移行。以降、焼酎や泡盛ブームに押された時期がありましたが2010年ごろからのハイボールブームで巻き返しを図っています。

沖縄サントリー 吉野宏明社長「ハイボールにとどまらない飲み方のバラエティーの豊富さももっと提案する必要がある」

酒楽Bar SUN・SHINE 伊波興治さん「先輩たちもそうだが洋酒文化で育ってきているからその時の洋酒は美味しかったという話。歴史もちゃんと明確に伝えないといけないのではないかと思う」

琉球銀行豊見城支店 渡久地卓支店長「ウイスキーも好まれて飲まれた私も大好きなので酒を活力にまたあすも頑張りたい」

戦後の復興、生活の向上とともに沖縄のウイスキーの歩みがありました。きょうも琥珀色の命の水は、あすの沖縄の1ページを紡ぐ力の源としてウチナーンチュののどを潤します。