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観光客「絶対来ようって決めていました」「普通のところにはない塩ちんすこう味とかが美味しいです」

地元客「月に1~2回は来る」「時々子どもも連れて来よったんだけど、自分だけ食べてあるいたな」

「アメリカ生まれ、沖縄育ち」をキャッチコピーに、今年創業74年をむかえるブルーシール。沖縄の紅芋や黒糖をはじめ、およそ30種類のフレーバーは、さっぱりとしたコクのある味わいが特徴です。

ブルーシール 山本隆二社長「沖縄の皆さんと一緒に成長した会社だなということだったり、本当に沖縄の皆さんが、育ててくれたブランド」

ブルーシールの歴史は、戦後、アメリカの統治下と、密接に関わっています。

ブルーシール 山本隆二社長「向こうの写真がまさに、ここ。牧港に出てきたときの写真」「変わらないでしょ。このままの建物に今我々いるんです。もうあの、レガシィですよね

復帰50の物語 第21話 「占領下生まれのアイス」

そのはじまりは、1948年。アメリカに本社を置くフォーモスト社が、沖縄に駐留する米軍関係者に乳製品を供給するため、ミルクプラントを、旧具志川市天願の米軍基地内へ設立しました。当時の沖縄には、酪農家が少なく、島内で牛乳を確保するのが難しい状況にあったのです。

基地の外に出たのは1963年。外資系の商社や営業所が立ち並ぶ「マチナトコマーシャルエリア」と呼ばれた浦添の1号線沿いに本店を移し、”沖縄のアイスクリーム”としての第一歩を踏み出しました。

アメリカ人向けに発行された広報誌には…

「琉球諸島の非軍事人口に乳製品を提供し、琉球の酪農業を開発し、地域経済による「自然界で最も完璧な食品」の消費の増加を促進する」と謳われています。

アメリカ世の名残で、今も使われているものといえば。

ブルーシール マーケティング部 松田晃美さん「20年ぐらい前までは販売されていたブルーシールの牛乳になります。946ml。今も県内では946mlが主流だと思うんですけど」

沖縄のパック牛乳の容量は、今でも一部は1リットルではなく946ml。アメリカの規格である1ガロンの4分の1にあたります。その基準を作ったのは、フォーモスト社時代のブルーシールが販売していた乳製品だったと言われています。

復帰50の物語 第21話 「占領下生まれのアイス」

復帰前後に入社した石原光子さんと、内兼久操さんです。1960年代後半から70年代にかけて、ドライブがてらにアイスを求める客でにぎわっていたといいます。

石原光子さん「特に24時間やってたもんですから。大変したよ。夜中もいっぱいでしたね」「1,2個持っては間に合わせきれないもんですから、はい何個持てるねーって、空いた時間勝負するわけ。同じウエイトレス、この勝負でやりましたよ。10個とか8個とか」

アメリカ生まれとして人気を集めていきますが、けして順風満帆だったわけではありません。そのひとつが、味の再現です。アメリカで考案された門外不出のレシピ本を土台としていますが…アイスのコクを出すために欠かせない乳脂肪分を、沖縄で入手することができず、植物性脂肪分で代用することに。さらに本土復帰に伴い、輸入ができなくなった原材料もあり、工場長は頭を悩ませていたそうです。

内兼久操さん「原材料変えても、味とかにあまり影響ないような形で、そういう原材料を探して、税関担当者がいて、品質管理の担当者がいて、そういう連携をして、こういうふうに調達」

復帰50の物語 第21話 「占領下生まれのアイス」

石原光子さん「いつも工場長が来て、チェックしなさいと味を。これはもうされていました。ずーっと。はって言ったら、どこが変わっている?とすぐ突っ込んでくる」

知恵を絞り、沖縄の味を生み出していったブルーシール。販路を広げるために、営業車に商品を積んで、沖縄全域のマチグワァーを行脚しました。

内兼久操さん「アイスを納品するためには、冷凍庫が必要ですし、一社ではちょっと負担があるということで、話し合いをして、こっちからこっちまではうちが、こっちからこっちまでは、森永さんというふうに、すみ分けをしながら、納品したというふうに聞いています」

海洋博覧会以降は、ホテルやスーパーへの展開や、お土産用のギフトボックスを考案。攻めの営業戦略に、観光客の増加が追い風となり、沖縄ブランドとしての知名度を高めていきました。

ブルーシール 山本隆二社長「宣伝も何もしてないんですが、意外に本土で知名度がある。沖縄を代表するブランドのとして一つになってるかもとは思ってます。だったらこのブルーシールのブランドを使って、沖縄を本土の方々に、こんな素晴らしいところだよって、見せていくそのお手伝いができないかな」

創業から74年。ブルーシールは今、沖縄の材料を使った商品開発に力を入れています。

ブルーシール 山本隆二社長「沖縄のアイスであり続けることしか、たぶんブルーシールが続いていく部分ってないと思っているので、少なくともウチナ-ンチュの方々が、ワッタ―アイスって言ってくれなくなったらこの会社終わりですよね」