戦後75年が経ち、戦争体験者の言葉を直に聞くことが難しくなってきています。

戦争体験の風化と継承が社会的な問題となる中、悲惨な戦争の記憶を少しでも後世に残そうと、久米島町では初めて島の戦争をまとめた町史を編纂することになりました。

体験者から聞き取りを行う、戦争を体験したことがない世代の思い、そして町史に託す体験者の思いを取材しました。

その風光明媚な景色から「球美の島」と呼ばれる久米島。のどかな時が流れるこの島にも、戦争の傷跡が深く残っています。

非戦の誓い 記録に残す久米島の戦争

「先週のうちで入稿は進んでいます。第1章、第2章は終わっています。」

久米島博物館で行われていたのは、島の戦争記録をまとめた町史の編纂に向けた、学芸員らによる会議。久米島町が戦争の証言や資料を町史にまとめるのは今回が初めてです。

主任学芸員・宮良みゆきさん「戦後75年が経って体験者が少なくなってきているということで、少しでも多くの方からその体験、戦争の記憶をとどめておかなければならないということで。」

戦後75年が経ち、戦争体験者も高齢化が進む中で聞き取りを行った証言と、島の戦争に関する資料から成る今回の町史。沖縄県史の編集委員会の会長をつとめ、これまで数々の市町村史の編纂に携わってきた吉浜忍さんは、今回の久米島町史には大きな特徴があると話します。

吉浜忍さん「最大の特徴は沖縄戦当時に記録した資料、行政資料、村役所の資料、警防団の資料、それから久米島の当時のリーダーたちの個人日誌、そういうのをまず掲載したということで、沖縄戦研究をする上で『第一級の資料』といってもいいです。」

久米島では、沖縄本島で起こったような地上戦がなかったことや、艦砲射撃などが少なかったことにより、当時書かれた資料が他の市町村に比べ多く残っていて、中には戦争真っただ中の1945年当時に書かれた日誌や、「TOP SECRET」と記されたアメリカ軍が島への上陸のために準備した地図なども、今回の町史に掲載されます。

そして、今回の町史編纂に向けて力を入れているのが戦争体験者からの聞き取りです。

非戦の誓い 記録に残す久米島の戦争

学芸員・山里直哉さん「廣貞さんは戦争を経験されていますけど、次の世代に向けて何か伝えたいことはありますか?」

譜久里廣貞さん「もっと戦争のことをみんな知っていただいて、もうそんなことがないようにしてもらったらと思いますね。」

体験者たちの言葉からは、地上戦こそなかった久米島でも、住民が戦争に翻弄された歴史が浮き彫りになってきます

中村タケさん「ある時ね、うちの隣の家におじさんと娘と暮らしているところがあったわけ。こっちにアメリカ兵が2人来てね、夜、『娘を出せ、娘を出せ』と言ったって。」

久米島の戦争記録をまとめる町史の編纂にあたり、自らの戦争体験を話した中村タケさん。沖縄戦当時16歳だった少女は「兵士に見つかったら連れていかれる」と、怯えながら生活を送っていたことを覚えています。

中村タケさん「いつもアメリカさんがこっちにいてうろちょろ歩くから、怖くてうちなんかは女だからみんな裏に固まって、外に一歩も出られなかったんですよ。」

また、与那嶺さん夫婦も学芸員の聞き取りに協力しましたが、それまでは自身の戦争体験を話すことはなかったといいます。

与那嶺喜幸さん 「(Q.あまり思い出さないようにしているんですか?)そうそうそう。」

それでも、戦争の記憶は鮮明に残っていました。

与那嶺喜幸さん「(住民が)スパイとされて、おうちで刺して、おうちも燃やして、みんな火をつけて燃やして。その翌日、現場に行ってみたら殺されてからみんな焼かれていた。大変だったよこういうこともあるんだねと。」

2人が語るのは、日本軍による久米島住民の虐殺事件。

非戦の誓い 記録に残す久米島の戦争

久米島にアメリカ軍が上陸したのは、沖縄本島で組織的な戦闘が終わった後の6月26日でしたが、島にいる日本軍を指揮していた鹿山隊長は、住民たちがアメリカ側に取り込まれることを警戒し、命令を出しました。

そこには、アメリカ軍のビラを拾うことさえスパイとみなし、銃殺すると記されていて、最終的に島ではスパイと疑われた住民20人の命が無残にも奪われました。

学芸員・山里直哉さん「鹿山について覚えていること、印象とかあればお願いします。」

この日、学芸員らが話を聞きに来たのは、鹿山部隊から壕を掘ることを命じられた、譜久里廣貞さん。

譜久里廣貞さん「戦争が始まってから防空壕堀りでこき使われている状態。」

学芸員・山里直哉さん「防空壕堀は命令で?」

譜久里廣貞さん「命令できょうはどこの集落から何名出しなさい、あすは何名出しなさいと命令。夜通し使われた。うちに帰ることもできないで、そのまま木の下で動けないような状態で、こき使われた。」

戦後75年が経ち、体験者も減る中で、学芸員らはおよそ3年前から聞き取りを開始し、のべ60人ほどから話を聞くことができました。すべての証言は文字に起こしてまとめられ、町史の中に残されていきます。

学芸員・山里直哉さん「僕たちは幸い体験を直に聞くことができるんですけど、何年、何十年たったら語り部の方もいなくなっていて、直に聞くことができないということで、これを読むことで平和について考えてもらえるような、資料の入り口にでもなればいいなと思っています。」

非戦の誓い 記録に残す久米島の戦争

監修をつとめる吉浜さんは、証言を取ることの重要性を訴えます。

吉浜忍さん「本格的に、かつたくさんの住民証言をたくさんの人数の証言を、行政が取るということは、最後の取り組みじゃないかなと思っておりますから。その人が亡くなればその人の体験は消えるわけですよ。ただその体験、戦争の記憶を記録さえすれば永久に残りますので。」

また、聞き取りを行った学芸員らは、体験者の言葉の重みと、証言を残す意義を強く感じていました。

主任学芸員・宮良みゆきさん「強く思うのは、まだ戦争が終わっていないなということを感じました。75年経ってもきのうのことのように皆さんお話されるんですね。それがとてもつらい悲しい思い出でもありまして。」

主任学芸員・宮良みゆきさん「今やっている戦争の記録というのは判断材料だとおもいます。どうして戦争が起こったのか、どうして戦争を回避することができなかったのかというのを考えるうえで、判断する機会になるんじゃないかなと思います。」

そして、証言として戦争体験を語る人々も、この町史に思いを託しています。

非戦の誓い 記録に残す久米島の戦争

譜久里廣貞さん「自分が覚えているだけは色々話しておきたいというのはある。」

与那嶺喜幸さん「(Q.自分たちのお孫さんにも読んでほしいと思いますか?)大変思いますよ。」

中村タケさん「みんなが私の話を聞いて、戦はしないようにみんなが努力するのを、私は非常にうれしい。」

久米島の人々が体験した戦争の歴史、そして、その体験を後世に伝えたいと奔走する人々と、記憶を語った証言者たちの思いをのせた久米島町史は、来年3月に発刊予定です。