うるま市の宮森小学校に米軍戦闘機が墜落した事件から30日で61年。小学校で追悼集会や慰霊祭が行われました。

61年前の1959年6月30日、うるま市の宮森小学校に米軍戦闘機が墜落し、児童11人を含む18人が犠牲になりました。追悼集会には、宮森小学校の校児童390人あまりが出席し、犠牲者の冥福を祈るとともに悲惨な事件の継承を誓いました。

宮森小学校の児童は「同い年の子が何人もいて、その子たちは今生きていたら、私よりも年上であるのに、そんな時が今止まってしまっていると感じるととても悲しくなりました」と話していました。

また犠牲者の名前を刻んだ仲よし地蔵の前では、当時の生徒や遺族など約50人が参加し、慰霊祭が行われました。

母親を亡くした伊波秀子さんは「同じ家にいて、私は助かって母親は亡くなって。6月が来るのが、本当に心苦しいです」と話していました。弟を亡くした上間義盛さんは「(弟の遺体が)家に搬送されてきたら、もう母親は半狂乱。泣き叫んで、名前だけ呼んで、よしたけ、よしたけって呼んで、悔しい。もう二度とこのような事件は起こしてもらいたくない」と話していました。

石川・宮森630会の仲松祥吾理事は「子どもたちがこういった事故で未来が失われることがないように。体験者から語り継いでもらったことを自分の財産として次世代に語り継ぎたい」と話していました。

遺族や関係者の高齢化が進み、慰霊祭に参加する人も少なくなる中、この事件を風化させないよう若い世代に伝えていくことが必要とされています。

宮森小米軍機墜落から61年で追悼集会