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命の恩人を探し続けて36年。元ベトナム難民の男性が、海の上で救助してくれた沖縄の男性と再会を果たしました。感動の再会の裏側には、まさに「奇跡」としか言いようがない物語もありました。

36年ぶり 元ベトナム難民と船長が再会

南雅和さん「ありがとうございます」宮城元勝さん「初めて。36年ぶり」南さん「36年ぶりです」

顔を合わせるやいなや、すぐに駆け寄り、抱擁を交わす2人の男性。元ベトナム難民の南雅和(50)さんと、36年前に南さんの命を救った宮城元勝(75)さん。感動の再会に至るまでには、奇跡の物語がありました。

現在、東京でベトナム料理店を営む南さんは、ベトナム戦が泥沼化していた1969年、南ベトナムのサイゴン、現在のホーチミンで生まれました。

長い戦いの末、敗れたアメリカを支援していた南ベトナムの人たちの多くが迫害され、国外に脱出しようという動きが活発化したのです。いわゆる「ボートピープル」です。

36年ぶり 元ベトナム難民と船長が再会

当時14歳だった南さんら105人の難民は、木造船に乗り込み、命がけで国を出ましたが、食料はすぐに底をつき、燃料も残りわずかに。生死をさまよっていたそのとき、南さんたちの目に「光」が見えたのです。

南さん「その光を追いかけましょうと。もしその光を追いかけてまたダメだったらみんな終わりだよと。それでも最後の希望を持って、その小さい光を追いかけたんですね。その光は『翔南丸』。(宮城)船長が乗ってる船だったんです」

「翔南丸」は沖縄水産高校の実習船。当時、県の海事職員だった宮城さんが船長を務めていました。

宮城さんは、難民105人全員の救助を決断。受け入れることで、船に搭載できる75人の倍以上に膨らんでしまうという問題もありましたが…

36年ぶり 元ベトナム難民と船長が再会

宮城さん「難民だからといって、それを振り切って(船に)戻してって、まず戻れって言っても戻らないだろうし、人道上、これは問題だよね。救助しないで帰るというのは」

日本政府は船に過剰に人が乗っていることをを懸念し、早期の下船を模索。政府間交渉でフィリピンでの受け入れが決まり、実習船はマニラに入港しました。

南さんはその後、日本に移され、長崎や本部町にあった難民収容施設で生活を続け、1994年に日本国籍を取得しました。そして、2010年にベトナム料理店をオープンしたのです。苦労の上につかんだ成功。しかし、海で命を救われた出来事が、頭から消えることはありませんでした。

36年ぶり 元ベトナム難民と船長が再会

南さん「(Q:この36年、何か心に引っかかってたものってありますか?)船長は今まで生きてるかなって心配だったんです。もしかしたら会うことができないかもしれない。『ありがとう』とお礼したいんですけど、もしかしたら本人に直接言うことができないかもしれない。それが不安で、心配だったんです」

36年ぶり 元ベトナム難民と船長が再会

宮城さんもまた、自らの決断によって救助した難民たちのことを常に気にかけていました。

宮城さん「忘れさせないものが私の家にありまして。これは難民が乗っていたボートの木造船の予備のプロペラ。(難民が)船長、これ差し上げますって言ってね、くれた。それを大事に家にずっと大事に持ってる」

恩人を探し続けた南さんでしたが、覚えていたのは、船の後方に書かれていた「SHONANMARU」というローマ字のみ。捜索は困難を極めました。

36年前、助けてくれた恩人にお礼が言いたい。再会のきっかけを作ったのは意外な人物でした。県内で高校教員をしている與座宏章さん。去年6月、東京出張の際に、偶然、南さんの店を訪れ、何気ない会話の中で、沖縄から来たと話したときのことです。

36年ぶり 元ベトナム難民と船長が再会

與座宏章さん「南さんの表情がキリっと変わって『実は私は沖縄にいる命の恩人を探してるんです』ということから、36年前のお話を南さんからお聞きしました。すごく感動しました。うちなーんちゅの1人として、こういった善行してくださった方がいらっしゃるんだということをとても誇りに感じて、正直なところ、気が付いたら思わず『協力しましょう』という言葉が出たのが本音です」

與座さんは県内の新聞社に協力を呼び掛け、船が沖縄水産高校の実習船だったこと、その船の船長が宮城さんだったことを突き止めました。

與座さん「本当にほっとしました。南さんと船長さんが喜ぶ顔が思い浮かびました」

南さん「(Q:宮城さんに会ったら、第一声は何て声かけたいですか?)『ありがとう』と言いたい。『生きてましたよ、僕は。元気に頑張りました』と叫んで、言いたいですね」

熱い抱擁が36年の歳月を埋めます。娘の亜理沙さん(17)です。

36年ぶり 元ベトナム難民と船長が再会

宮城さん「これが証だからね。14歳のときに翔南丸に救助されて、亜理沙がいるわけだ」

南さん「船長いなかったら、今あんたもいないんだよ」

亜理沙さん「ありがとうございます」

拍手で南さんを歓迎したのは、翔南丸の乗組員たち。およそ20人が集まって開かれた歓迎会で、南さんは恩人らを前にし、思いがあふれ出します。

36年ぶり 元ベトナム難民と船長が再会

南さん「当時(宮城さんが)いなかったら、多分僕、ここに今いないですよ。この可愛い娘もできないし。ありがとうございます」

宮城さん「オーケー。ありがとう」

南さん「本当にありがとうございます」

宮城さん「これが人間の不思議な出会いというか、邂逅なんじゃない。人間の出会いってこんなに人を幸福にするんかね」

2人は片時もそばを離れることはありませんでした。

南さん「これからも助けくれた命を大事に生きて、頑張ってやりたいなと思っております」

宮城さん「(Q:ぜひお店に来てほしいですよね?)行きますとも。みんなでいきますよ。南さんのおいしいベトナム料理を食べに行きます」

南さん「予約しないと席がございませんので(笑)」

空港には再会のきっかけを作った與座さんも駆け付けました。

與座さん「お世話になった人に一言お礼が言いたいという、その気持ちが出発点です」

奇跡の再会は恩人への感謝を忘れなかった思いと、うちなーんちゅが繋いできた絆によって実現しました。

36年ぶりに「ありがとう」を伝えた南さん。晴れ晴れとした表情で帰路につきました。