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Qプラスリポートです。漆を使った芸術「漆芸」の世界で、古くから伝わる技術を大切にしながらも、新しい境地をきり開こうと挑戦する男性がいます。男性の姿から、漆芸の奥深さを取材しました。

今年3月、浦添市美術館で一人の作家の個展が開かれた。深い黒に、朱い漆が重なって、独特の味わいを出す漆のアート「漆芸」。

「今までにない、沖縄になかったような新しい漆器を生み出したい。」

漆芸作家、前田國男さん。兄で漆芸家の前田孝允(こういん)さんの影響で、中学卒業後、沖縄工業高校漆工芸科に進んだ。卒業後は、老舗の紅房(べんぼう)などで腕を磨き、34年前、オリジナルの「漆芸」を求めて、ふるさと大宜味村に拠点を移した。

前田さん「この水の流れを見ると、非常に不思議なんだよね、ずーと流れてるし、深みがあるし緑があって、緑の中に深い水が流れているけど単なる水と言う風に思いはしないんだよね、なぜか不思議な感じを受けるんですよ。」

緑豊かなこの山間の集落で、四季折々の風景を楽しむ毎日。

前田さん「もうここにいると季節によって、どんどん山の風景変わるんだよね。それが非常に楽しみだね。」

前田さん「山見ると、山の重なりがありますね。この重なりの美しさが、こう天気がいい時にはわかりませんが、ちょっと雨が降った時に、遠景がはっきり分かってきますね、あの時にこういう形が面白いと言うのが響いてくるんですよね。」

梅雨で足元が悪くなるこの時期は、外を出歩かない人も多いが、前田さんにとっては、創作意欲がわく季節なのだという。

前田さん「そう言う自然の移り変わりの美しさをいつも頭に刻んで、そういう状況の時には、そういう状況を何回も見て、さらに刻み続ける。」

地元に根を下ろし、村議や、村の文化財保護委員も務めていた前田さん。今、こんな作品にも挑戦している。

前田さん「オブジェ作ったの全部そうですよウンガミで。ウンガミは、写真家は写真撮ればいいけど、僕なんかは実際携わってきてるから、それを形に作りたくて形に作ってんですね。」

前田さん「(Q.風景も含めて、沖縄の伝統行事、集落の伝統行事が前田さんにとってはイメージの源になっている?)源になっています。心の中を豊かにする幸せにする、そういう希望を込めてオブジェも作ってるんですよね」

前田さん「(Q.謝名城の集落の山間とか、川とか先程の行事物とか、そう言った物が前田さんにとっては?)漆芸の原点ですね。」

この日は、重箱に幾度も黒漆を塗り重ねては乾燥させ、磨く作業を、延々と繰り返した。

前田さん「表面だけ乾いて中が乾かない、表面に引っ張られるてしわになる。湿気が高いとこのような現象が起こる。雨季の時期が一番難しい。」

湿気に弱い漆。梅雨時は、乾燥させるのに苦労するという。室内の空気を入れ替えたり、エアコンをつけたりと、作品に気を使うのだ。

前田さん「漆が早く乾いたりするために、漆を焼いたりして遅くする技術が難しいんですね 。」

前田さんが得意とする技法ある。

前田さん「ぼかしの技法と言って、沖縄で初めてやってます。」

その技を使った作品がこちら「曙棗(あけぼのなつめ)」「黒暈し塗棗(くろぼかしぬりなつめ)」。

棗は茶道の道具で、茶を入れる漆器。黒と朱の絶妙なぼかしが、きれいなグラデーションになっている。ナスカの地上絵が施されたこの作品は、どういう風に仕上げるか、悩んだ。

前田さん「黒にするのも可笑しいし、朱にしても可笑しいし、他の色にしても可笑しいし、どういう技法にするかと迷いながらずっと。」

前田さん「毎日食べている卵を思い出したんですよ。卵を貼る技法。人間が生まれる前からすでに卵があって、その卵から鳥とか目になったり、恵になったり、生まれた時期から歩くと言う、凄いパワーを卵は持ってるなと思って、(これは生かさんと思いましたね。)」

漆芸には失敗はつきもの。しかし前田さんは、失敗しても、その経験が自分自身の強さに変わると信じて、作り続けている。

前田さん「漆を1000分の1ミリぐらいかな。薄さで塗り重ねていきますから、それも1日1回しかできないから10年ぐらいかかるんだよね。100回くらいせんといかん。それも失敗するときもあるんですよ。」

前田さん「(失敗が)無駄はいつかまたそれが生かされると言ってるんですね。私も、失敗してもまた次の作品を作る時の礎(いしずえ)になるんだと言う思いで、失敗してもあんまり、悔しい事は悔しいけど、あんまり気にしてないって言うのかな。それがいつかは新しい作品を作る元になるんだという事で、常々心がけて自分を失敗から励ましてますね。」

伝統の技と、持ち前の探求心で、新たな漆芸作品を生み出している前田さん。ポジティブな精神が、漆芸の世界を広げています。

前田さん「今までにない、沖縄になかったような新しい漆器を生み出したいと。そういう漆の世界が新しい世界があるんだという事を、世間の人にも見せたいと言う様な意欲があるから今までまだ漆器にかじりついてると。」