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車いすトラックの日本代表候補合宿についてです。ロンドンパラリンピックでメダルをめざす、県出身の上与那原寛和選手の今年の抱負を取材してきました。

そのスピード感はまるで競輪を見ているかのよう。種目によっては時速30キロを超えるスピードレース、車いすトラック。

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合宿には、去年の世界選手権・マラソンの金メダリスト土田和歌子選手や、1988年のソウルパラリンピックから7大会連続の出場を狙うベテランの永尾嘉章選手まで、車いすトラックのスペシャリスト16人が参加。暖かい沖縄での合宿は有意義なものになったようです。

永尾選手「(体の動きが)全然違います、寒いところでは服をいっぱい着こんで走るので」「(沖縄で)練習量をこなして(ロンドンに)備えたいと思います」

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この合宿に、沖縄から唯一参加したのが上与那原寛和選手。手首から先にも障害がある上与那原選手はT52クラスに属し、障害の程度の低い選手達にそのスピードはかないませんが、トレーニングを続けた結果、4年前の北京パラリンピックT52クラスマラソン競技で見事銀メダルに輝きました。

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しかし、今年のロンドン大会では、T52クラスのマラソンは開催されないことが決定。100M~800Mのトラック種目に重点を置くことになりました。

上与那原選手「いろんなプレッシャーはかかるとおもうんですけど2楽しむ気持ちでやっていけば苦にもならないし」「今やるべきことをやってますので」

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その表情に焦りはありません。

パワーや瞬発力がより必要となるこの種目。腕や肩周り、大胸筋などのトレーニングに励みました。

それは、機能する筋肉が限られ、1つ1つの筋肉に刺激を与えることが難しい障害者にとっては、その程度が重くなるほど至難のトレーニング。それでも彼は、200mの記録を4年前より1秒近く更新しました。

強化委員下地さん「体つき筋肉の大きさも変わってきてますし、腕周りが4年前に比べて太く大きくなってきてます」「腕周りですね、二の腕上腕二頭筋力こぶが出る部分は見た目でも大きくなってますね」

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競技に対する強い思いが今の進化につながっています。

この日は、彼が事故にあった12年前の1月14日。第二の人生をこう振り返ります。

上与那原選手「自分が進むべき道それに一生懸命すすんでいったら夢とかそういったものはかなうと思うので、とにかくあきらめないで決めた目標に向かっていくことが大事だと思います」

マラソンからトラックへ。新たな挑戦もその目標は明確です。

上与那原選手「まずは日本代表を勝ち取って」「取るべきものを取りに行きたいと思います」

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上与那原選手、4年前の北京ではマラソンだけでなく、800mでも4位入賞を果たしています。トラック競技に磨きをかけたロンドンでの活躍に期待しましょう。