1945年に生まれ、今年65歳になった方たちが慰霊の日を前に摩文仁の丘に集まりました。 65年前のきょう6月22日。32軍司令部のある摩文仁の丘は完全にアメリカ軍に囲まれ、敗残兵のわずかな抵抗があるだ…
戦争の記憶を後世に引き継ごうと戦争を描いたラジオドラマに歌やダンス自分たちの表現を取り入れ、あらたな舞台を作り上げようとしている若者たちを取材しました。 65年前の沖縄戦で学徒隊として動員された鉄血勤…
エンディングは「オキナワ1945」島は戦場だった。65年前のきょう、アメリカ軍は摩文仁などを占領し、「日本軍の組織的抵抗は終わった」と記録しています。 アメリカ軍が沖縄本島への攻撃を開始してから80日…
今月、こちらの本が出版されました。「沖縄陸軍病院南風原壕」。沖縄戦当時、日本軍が病院として使っていた防空壕を文化財として保存し、一般公開するまでの道のりがまとめられています。県内には戦争の痕跡を残す防…
65年前のきょう、牛島司令官は全ての軍に最後の命令を出しました。しかし、それは戦いの終わりを伝えるものではありませんでした。 鉄血勤皇隊として動員された県立第一中学校の少年たち。毎年6月になると、後輩…
アメリカ軍は既に摩文仁岳にあった日本軍司令部壕まで前進していました。 アメリカ陸軍総司令官のサイモン・バックナー中将はこの時、日本軍の終わりを見ていました。 この日、降伏勧告状がやっと牛島中将のもとに…
住民を巻き込んだ南部での戦いが悲惨さを増しながら激しくなる中、本土決戦に備え整備計画が日本本土で決定します。 6月16日、糸満市に与座岳がアメリカ軍によって攻略。追い詰められる日本軍と住民達はさらに南…
6月中旬、糸満の壕にいた少女を爆撃が襲います。那覇市の翁長安子さんは、看護要員として首里の住職が隊長の永岡隊と行動をともにしていました。 糸満の糸洲の壕では戦車砲や火炎放射に襲われ、命からがら逃れます…
来月行われる参議院選挙に向けて各政党の動きが非常に慌ただしくなっています。政党間の激しい駆け引きと難航した候補者選びについて岸本記者のリポートです。 先月、共産党の沖縄県委員会を訪れた社民党県連の新里…
現在の豊見城市にある旧海軍司令部壕。アメリカ軍に包囲され、すでに孤立していた司令部の大田實司令官は1945年6月13日午前1時頃、この司令官室でけん銃自決を遂げました。 13日、40回目を迎えた慰霊祭…