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海上を戦場としていた第22震洋隊は8月下旬、屋嘉収容所周辺で終戦を迎えることとなります。

8月下旬、終戦を知ったひとつの部隊が武装解除し、捕虜となります。第22震洋隊です

太平洋戦争末期、日本海軍が起死回生の作戦として始めた神風特攻隊。海軍はさらに「人間魚雷」「人間爆弾」そして海の特攻「震洋」を考案します。

部隊の名前にもなっている水上特攻艇「震洋」。ベニヤ板でできた小型ボートに250キロの爆弾を積み、体当たりによって敵艦の上陸を阻止しようという兵器です。乗員が生還する可能性は皆無に等しく「突入」すなわち「死」を意味します

沖縄本島にも2つの部隊が派遣され、金武と屋嘉に配備されましたが敵艦一隻を破壊しただけで、アメリカ軍はすでに西海岸から上陸、金武へと侵攻していきました。部隊は分散して地上戦へと入り、8月までその目的を果たすことはありませんでした。