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沖縄戦では、20数万人の犠牲者が出ただけではなく凄まじい戦火によって数多くの歴史的建造物が破壊されました。65年前のきょうの糸満です。艦砲射撃や迫撃によって地上のあらゆるものは焼きつくされています。かろうじて亀甲墓は原型を留めていますがアメリカ軍はこの墓の中に隠れていた住民や日本兵を外に出すためにその一部も破壊しました。

こちらは那覇市の波の上。海のすぐ手前にある高台に波の上宮が確認できます。波の上宮は沖縄戦後、1953年にハワイ移民の寄付によって本殿が、1961年には拝殿が再建されました。

凄まじい戦火によってほぼすべての住宅が焼かれた首里。那覇港を見渡す首里城も完全に破壊されました。首里城の南殿跡から出土した龍柱の一部。沖縄戦でアメリカ軍の攻撃を受けて吹き飛び南殿から20m以上も離れた場所で発見されました。

また、こちらは北殿跡から出土した鉄釘。ひとつひとつ手作りされ長さも違う鉄釘は当時の建築技術を知る上でも大切なものです。沖縄戦は多大な人的被害だけでなく歴史的な建造物や工芸品、古文書など数多くの文化財も破壊し尽くしました。