5月15日は、沖縄が本土に復帰した日で、ことし53年を迎えました。
復帰の際「本土並み」を求めた「基地の負担」でしたが、現在も全国のアメリカ軍・専用施設のおよそ7割が沖縄に集中しています。

「基地のない沖縄」「戦争のない世界」を目指して先週、沖縄本島や宮古・石垣で「5・15平和行進」が行われ、訴え続ける参加者らの思いを取材しました。
平和行進 嘉数高台公園(普天間ルート)
沖縄平和運動センター多和田栄子共同代表(宜野湾市出身)「生まれた時から目の前にフェンスがあって育ちました」「飛行機の騒音、落下物、本当にこの沖縄で色々なことが起きております」「本当に一つ一つ考えていかなければいけないと感じております」
多くの命が奪われた沖縄戦を経て、戦後27年間、アメリカの統治下にあった沖縄。1972年5月15日、基地のない平和な島を求め本土復帰を果たしました。
しかし、53年経った現在でも、日本にあるアメリカ軍施設のおよそ7割が集中し、軍関係者による事件・事故は、後をたちません。

「ガンバロー!」
おとといの朝、主催者の言葉から始まった「5・15平和行進」。基地のない平和な沖縄の実現を求め1978年から始まり、ことしで48回目を迎えました。
参加者は読谷村を出発し、嘉手納基地の横を通って南下するコースと宜野湾市の嘉数高台公園を出発し、普天間基地をの横を通るコースの二手に分かれ北谷町のゴールを目指し、およそ12キロもの道のりを歩きます。
この日の最高気温は30度、照りつける日差しの中、県内外からおよそ1950人が参加しました。

大分から初めての参加「基地の問題とか長く言われている問題なので、どうやったらいい方向に向かうのかに関心があったので参加しました」「地元の方だったり今までいろいろな方が行進に参加されて思いをつないでこられたので、これから先に向けて自分も思いをつないでいけるように頑張りたいと思います」
沖縄市民「復帰して53年、どんどん悪くなっている状況、事故も女性への暴行事件も起きている。沖縄が戦場になるんじゃないかという危機感があって、なんとかしないといけない、そんな思いがあります」
Q米軍に関する報道みてどう?「本当にわじわじしてきます怒りが。事件もなくならないし。最近も落下物がありましたよね、一歩間違えれば人命にかかわる話じゃないですか。そういうのが全然なくならない」
広大な土地を所有する基地の横を歩く参加者たち。いつになっても解決しない基地問題への訴えが続きました。
Q普天間基地が、となりにありますけど、どうですか? 富山から(本土代表)「住宅地のすぐ近くにあって、広大な面積がありますのでここに住むのは本当に大変だろうなと感じております」「私のところ(富山)には米軍基地はないので、沖縄の皆さんに申し訳ないなと、一緒に変えていかなければならないなと毎回来るたびに思います」

横浜から「これだけ基地があるというのは目にしてみないとわからないと思います。テレビで見てもわからないと思います。だから(本土に)伝わるにはこういうところに参加するのが一番かなと思います」
自衛隊の南西シフトに揺れる先島諸島でも行われた平和行進。宮古島では激しい雨の中5.5キロを、石垣島では9.4キロを歩き基地のない平和な沖縄を訴えました。
復帰当時県外に進学していた人「行くときはパスポーをもっていって、帰りはパスポートを持たないで帰ってきたときはうれしかった」「石垣も基地が、駐屯地が、どんどん拡大されていくような気配でしょ、残念だね。こどもや孫のためになんとかできたらと思っております」「やっぱり平和な自然を大事にしながら、豊かな自然の中で平和に暮らして、子供も孫も暮らしていけたらなと、本当に切に願っております」
県民大会 北谷 山本真帆記者「南北のコースを歩き終えた参加者らが続々と球場に集まってきています。このあと午後3時半からは県民大会が行われる予定です」
会場には2000人の参加者。

知事「沖縄県は復帰から53年がたった現在もなお、広大な米軍基地の問題が沖縄県の振興を進めるうえでおおきな障害となり、騒音、環境汚染をはじめ、米軍人による事件事故が繰り返されるなど県民生活に様々な影響を及ぼしています。」
「ことしは戦後80年の節目の年です。この節目を機にこれまでの歴史を振り返り、長期的な視点に立って将来を見据えながら未来に向け、平和で豊かな沖縄を実現するため、次世代を担う若い世代への平和教育など、平和を考える機会を創出したいと考えています」
基地のない平和な島・沖縄。その日が訪れるまで参加者は歩き続けます。
「平和行進」の後に開かれた県民大会では「大会宣言」が採択され、その中で南西諸島の自衛隊配備や民間の港湾や空港を利用した訓練など、軍事増強では平和を実現できないと批判しています。
こうした行動の前に「対話による外交努力」によって平和を築くことが、日本政府に課せられた責任であると訴えてます。