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1997年に辺野古への普天間基地移設を受け入れたことで知られる比嘉鉄也元名護市長が6日亡くなりました。99歳でした。
比嘉鉄也名護市長(当時)「ヘリポートを受けいれると同時に、私のこれまでの政治生命を終わらせていただきたい」
比嘉さんは名護市議会議長を経て、1986年に市長に就任しました。1996年、日米両政府が普天間基地の返還に合意以降、その代替として、名護市東海岸のキャンプ・シュワブ沖の海上ヘリ基地建設が浮上します。
翌年1997年に、名護市で基地建設の是非を問う市民投票が行われ、反対が過半数を占めましたが、比嘉さんは北部振興などを条件に当時の橋本総理に基地建設受け入れを伝え、任期途中だった名護市長の辞任を表明しました。
