沖縄の社会課題の一つとされる「ひとり親家庭」の子どもたちへの教育支援です。
「ひとり親家庭」が抱える事情や環境は様々ですが経済的な理由で大学や専門学校への進学の夢をあきらめず、希望をもち続けてほしいと訴える男性います。
将来への道を切り開いて現在、新聞記者として日々社会に向きあっている彼の思いとは。
松田駿太さん「とったシークワーサー見せて!はい!いいね~ はい!オッケー」

子どもたちに優しく声をかけシャッターをきるのは、沖縄タイムスの記者として北部支社で働く松田駿太さん(26歳)
松田駿太さん「シークワーサーは好き?シークワーサーの何の料理が好き?ゼリーとかジュース みんなジュースか」

こども「ゼリー大好き」松田駿太さん「おーいいね ここもゼリー大好き すごいゼリーの連鎖だ」
子どもたちの無邪気な声を記録する眼差しの奥には幼い頃から抱えていたある記憶がありました。
ヤングケアラーのシンポジウム 7月22日浦添市
松田駿太さん「強烈に脳裏に刻まれているのは 小学3年生の時の光景だ」「夕方あかりが消えた薄暗いリビングでポツンと座る母に一緒に死のうと言われた。生まれて初めて『死』を意識した」「こみ上げる恐怖を抑えながら母の身体を必死に揺さぶり『死ぬのはダメだよー』と説得したことを覚えている」

そう打ち明けたのは、県が主催したヤングケアラーのシンポジウム。ヤングケアラーとは、本来大人が担うべき家族の世話を過度に行っている子どものことです。
松田さんは、入社1年目に実体験を新聞記事に書いたことがきっかけで、うつ病の母親を14年間支え続けてきた当事者として実体験を語りました。
松田駿太さん「病気が悪化するにつれ母は炊事洗濯ができなくなっていた、家の中は荒れ、私が好きだったポークカレーやクリームシチューといった母の手料理はコンビニやスーパーの総菜に変わった」

松田駿太さん「母は、周囲から『サボリ病』や『息子もいるのに母親失格』などと非難されるようになる、そう言われた日は、家に帰ると自責の念にかられ過呼吸を起こした。涙が止まらず、息苦しそうな母の背中をさすりコップに入った水や過呼吸を落ち着かせるための袋を渡すのは私の役目だ」
松田駿太さん「母は冷静さを取り戻すと決まって『ごめんね』『駿太の存在が生きる支えだよ』とつぶやいた。母との毎日を誰かに相談したり助けを求めたりしても無駄、母に強くあたる周りの大人を見て私は強く思うようになった」

松田さんが1歳の頃 両親が離婚。小学2年生の頃に 職場での人間関係の悪化が原因で母親は、うつ病を患いました。幼い松田さんは薬を確認し家事を担う日々。その日常を誰かに打ち明けることはありませんでした。
それでも勉強に部活動にとを続け夢を追い続けてきました。母と2人3脚で乗り越えた日々が今の彼を形作っています。
松田駿太さん「過去変えられなくても 未来は変えられる。つらい状況にある子どもや親たちに伝えたい綴ってました」
この記事への反響は大きく、読者からの反応だけでなく行政や支援団体が動くきっかけにもなりペンの力を感じたと言います。

松田駿太さん「個人的には 高校生の時の自分の視野の広さで職業を選ぶよりも、大学4年間で、いろんな人の話を聞いて自分が本当になりたい職業を見つけて今それにすごく意味があったなって思います」
子どもの頃から、周囲は中学を出たら働きなさいと言われ育ってきた松田さん、しかし、大学進学への夢はあきらめませんでした。
松田駿太さん「僕みたいに大学に行って卒業されていない家庭の子だったら漠然とあんたが大学に通うお金なんてないさ、すぐ働きなさいとか言われるかもしれないけど、今は、その国の制度も拡充されて」「大学に行ってみたいなって思っている子どもたちにはぜひ、そういう制度周りの学校の先生とかに聞いてみて大学進学も考えて欲しいなって思います!」

松田駿太さん電話応対「ハイ 分かりました。 送ります。 よろしくお願いいたします」
夢をあきらめず 道を切り開いてきた少年は今記者となり言葉で社会が変わることを信じて、きょうも現場に向かいます!
松田駿太さん「ヤングケアラーだったり貧困世帯の子どもたちに対して、こういう支援があるから大人を頼ってねっていうメッセージを発信したい」

松田さんのお母さんは、2年ほど前から仕事に復帰したそうです。松田さんは、今悩んでいる人への支援に繋がってほしいという思いで取材に応じてくれました。
今回QABでは未来を担う子どもたちの進学支援をすることを目的にした「羽ばたけQごろ~募金」を始めました。
「羽ばたけQごろ~募金」は広く県内の個人や企業、団体などから募り、ひとり親家庭で大学や専門学校へ通う子どもたちへ送られます。皆さまの暖かいご支援、よろしくお願い致します。募金の詳しい内容はQABウェブサイトをご覧ください。
