戦時中に水没事故が起き、183人が犠牲となった山口県の長生炭鉱。事故から83年経ったいまも、遺骨は海底に残されたままとなっています。
遺骨収集にと返還を目指す市民団体がダイバーらと一つ一つ壁を乗り換えておよそ1年。先月、長生炭鉱から初めて人の骨が見つかりました。
先月27日、地元の警察から市民団体へ一本の連絡が入りました。
警察からの電話に出る井上さん「4点、いずれも人骨という鑑定が出たと、そうですか」

先月27日、地元の警察から市民団体へ一本の連絡が入りました。ダイバーたちの手によって地上へと引き上げられたのは、80年以上もの間、海底に取り残されていた骨。左の太ももと左腕の骨。そして、下あごのない頭蓋骨。発見された骨は、人骨であることが警察の鑑定で明らかになりました。
山口県 宇部市沖、海面に突き出た古びた筒状の構造物は、「ピーヤ」と呼ばれる、海底炭鉱の排気口の跡です。先月、このピーヤからダイバーたちが坑道内に入って潜水調査を行いました。坑道のなかは視界が不透明。ほんのわずかな動きで泥が巻き上がり、視界を奪います。

長生炭鉱は、かつて床波海岸に存在した海底炭鉱。1942年2月3日、戦時下の増産体制のもと、多くの石炭産出が求められるなか、海底からおよそ30メートル下に彫られた坑道の天井が崩落する事故が起き、朝鮮半島出身の136人を含む183人が犠牲になりました。犠牲者には沖縄出身者が5人含まれていて、市民団体は去年から海に残された遺骨を探すため潜水調査を行っています。
ダイバーたちが辿りついたのは、ピーヤおよそ250メートル進んだ水深43メートルの地点。よく見ると、あごの形がわかる頭蓋骨や複数の靴のようなものが。また、人が横たわっているように見えるものも映っています。
ダイバーが、かばんをかけて船からおりてくる、箱を開けると
「わ・・・」

黒く染まった頭蓋骨でした。
2日に渡り実施された市民団体による潜水調査。回収された大腿骨など3本の骨と頭蓋骨はいずれも人骨と警察が発表。長生炭鉱から人骨が回収されたのは初めてのことです。
犠牲者の遺族(女性)「亡くなった方たちはどう思って海の中から訴えてきたのかなって」「この真っ黒くなった遺骨を見ると感謝というか、いろいろ考えさせられます」

長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会 井上洋子共同代表「ご遺骨がまだたくさん坑道のなかに眠って救出を待っておられる。このことをしっかり政府に対して訴えていきたい」
現地の調査で話す具志堅さん「木ですね。きれいに残りますね」
現地で調査にも協力している沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さん「これ、足があってお尻があるよ。実際にどういう状態かわからないけれど、こうやって陸上ではありえないんですけれどね」

見つかった人骨の映像を観ながら、遺骨収容の意義をこう話します。
沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」・具志堅隆松さん「ダイバーが潜っていって、手の届くところに犠牲者がいるんだということが証明できたと、犠牲者を陸上に連れ戻す、そして家族のもとに返すっていう、その道筋が見えてきた。それが今回、遺骨収容の意義だと思います」
また遺族が判明しなくても、遺骨に含まれる炭素や窒素などを分析する安定同位体検査で出身地を特定し、ふるさとに戻してあげることも大事なことだと話しました。

沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」・具志堅隆松さん「戦後処理は終わってないというんですかね、一言いえば」「戦後処理は終わってないし、私たちはそれを忘却かなたに捨てない。せめて、家族のもとへ帰すという、そこまでのことは私たち戦後を生きるものの務めとしてやるべきだろうなと」「この人たちも戦没者ですよ」
長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会 井上洋子共同代表「遺骨の位置と深度がわからないなんていう、ふざけたことを言っていた日本政府に、ここにあるぞと市民の力で今、分からせたわけですから、このご遺骨に対してどう国が責任を取るのか、とるべきであるし、ですから一日も早く国との交渉をやっていきたい」

なぜ、調査が80年以上も進まなかったのか?遺骨の収集を行う市民団体は国に対して財政面や技術面での支援を求めていますが、国は「安全性に懸念がある」などとして動きません。
2016年に成立した戦没者遺骨収集推進法では、国は炭鉱犠牲者を「戦没者にはあたらない」として調査に後ろ向きな姿勢を示しています。
市民団体は、来年2月に追悼式を行い、あわせて潜水調査も実施する予定です。